メッセージ(2020年7月7日 開学60周年を覚えて)

Date:2020.07.06

酪農学園大学キリスト教委員会

メッセージ

 

聖書 ヨハネの手紙一 2章24節

 奨励 「初心に留まり続ける−–大学開学60周年」

2020年7月7日

宗教主任 小林昭博

 

【ヨハネの手紙一 2章24節】

 初めから聞いていたことを、心にとどめなさい。初めから聞いていたことが、あなたがたの内にいつもあるならば、あなたがたも御子の内に、また御父の内にいつもいるでしょう。 

(『聖書 新共同訳』日本聖書協会より引用)

 

 

【初心に留まる―大学開学60周年】

酪農学園の歴史は創立者の黒澤酉蔵が1933年に学園の前身となる北海道酪農義塾を開設したことに始まり、その27年後の1960年に酪農学園大学が開学します。ですから、今年(2020年)は大学の開学60周年の記念の年に当たり

ます。本来であれば、先週の土曜日の2020年7月4日に開学記念礼拝・行事が行われるはずだったのですが、残念ながら新型コロナウイルスの影響によって中止の運びとなりました。60周年記念誌は予定通り発行されるとのことですので、発行された暁には、学園の歴史を振り返っていただきたいと願っています。もっとも、学生のみなさんの今の歩みこそが現在進行形の本学の歴史でもありますので、10年後の70周年の記念誌には、コロナ禍の状況とそれに対応する学生と教職員の姿が本学の歴史として刻まれることになります。

今回の聖書テクストのⅠヨハネ2:24は、初めに聞いたことを心に留め、その内容を心の内に留め続けることの大切さを伝えています。もう少し、単刀直入に言えば、初心の大切さを伝える聖書の言葉ということになるでしょうか。そこで、今回はⅠヨハネ2:24を通して、開学60周年を迎えた酪農学園大学の初心を改めて想い起こしてみたいと思うのです。

わたしたちが初心の大切さということに思いを至らせるとき、「初心忘るべからず」という諺を思い浮かべると思います。これは室町時代の能の大成者である世阿弥(1363−1443年)の「初心不可忘(初心忘るべからず)」(『花鏡』奥段)に由来するのですが、世阿弥はこれに続けて人生のいくつもの段階において、その折々に抱いたそれぞれの「初心」を忘れることなく、いっそうの向上を目指すようにと教えていますので、最初に抱いた思いを大切にするようにという教えとはいささか趣が異なっています。それに対して、Ⅰヨハネ2:24は「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい」というシンプルな内容であり、唯一無二の初心の大切さにストレートに思いを至らせるよう勧めています。では、酪農学園大学にとって「初めから聞いていたこと」とはいったいどのようなものでしょうか。

それは1960年4月20日に行われた開学式において、創立者の黒澤酉蔵が学園長として語った以下の大学の目的と精神に立ち現れています。

いまや民主々義が大流行で猫も杓子も民主々義でなければ夜も日も明けぬような勢でありますが、多くの人々はその根元がどこにあるか、またその意義がどうであるかも窮めることなく、社会の表面を吹きまくっているが、民主々義の本義は実にバイブルの中にあるのであります。「天は人の上に人を造らず」という言葉がありますが、天とは何か、それ は神であり真理であります。これを東洋流にいえば儒教の教えがこれを説き、 西洋ではキリスト教の教えがこれを説いております。立派な人をつくるには どうしてもバイブル中心の教育でなければならない。これは私の信念であります。神はどんな人にも平等であります。私は形式ではありません。信念でやっているのであります。しかし信仰は自由でありますから決してこれを強いるものではありません。仏教がすきならば仏教で良いのでありますから誤解のないようにしていただきたい。キリスト教にも決して弊害がないとは申しません。けれどもバイブル其物は立派であります。バイブルが立派であるからやっているのであります。諸君はわが酪農学園大学創設最初の第一期生であります。どうぞ立派な学風をつくって下さい。

(『酪農学園大学の創立』56−57頁)

 

この開学の辞が明確に示しているように、創立者である黒澤学園長は―個々人の信教の自由を重んじつつ―「バイブル中心の教育」を声高らかに宣言し、酪農学園大学の教育が聖書を礎とするものであるとの思いを語っています。そして、これこそが本学の「初めから聞いていたこと」、つまり酪農学園大学の「初心」だと言えるものなのです。そのことは一年生が必修で学んでいる建学原論において、教科書である『酪農学園大学の創立―黒澤酉蔵と建学の精神』を通して、この開学の辞が毎年新入生に伝え続けられていることによって、確証を得ることができます。

Ⅰヨハネ2:24に戻りますが、「初めから聞いていたことを、心にとどめなさい」という文面の「とどめなさい」という言い回しは、ギリシャ語では命令法の現在形が使われています。古代ギリシャ語の命令法では、現在形は―過去・現在・未来といった「時制」(tense)とは無関係に―命じられた内容が継続するものであることを示しますので、Ⅰヨハネ2:24の「心にとどめなさい」という命令は、厳密には「心に留め続けなさい」という意味になります。一回限り「心の留める」のではなく、繰り返し「心に留め続ける」ように求めているということです。

そのように考えると、「初めから聞いていたことを、心に留め続けなさい」というⅠヨハネ2:24の言葉によって本学が誘われる場所は、本学の教育が聖書を礎とした「バイブル中心の教育」だということを繰り返し「心に留め続ける」という唯一無二の初心にほかなりません。しかし、創立者の黒澤学園長が目指したのは「バイブル中心の教育」をお題目のように単に繰り返していればいいということではなく、建学原論の教科書の後続する部分に描かれているように、より実践的な目標が掲げられているのです。

 

日本人は好景気が十年か十五年続いたといって有頂点になり、生産力が世界第二位だ、やれ第三位だと騒いでいますが、人間の魂の腐っていることは 最劣等ではありますまいか。こういうことでは一体どうなりますか。私がまず、グルンドヴィの三愛精神に徹せよ、というのはこのためです。本当の人間ができない以上金なんか問題ではありません。生産力がいくら伸びてもダメです。こんなものは一朝にして没落してしまいます。私たちがデンマークに学ばなければならないのはこの点です。理屈とか講釈ではありません。実行です。毎日毎日の行い、心のおき方をバイブルにあるとおりにしなければダメだということです。

    (『酪農学園大学の創立』66頁)

 

この言葉にはクリスチャンである黒澤学園長にとって聖書がどういうものであったのかが如実に示されています。「バイブル中心の教育」とは、詰まるところ「毎日毎日の行い、心のおき方をバイブルにあるとおりに」実行するという生き方に逢着するということです。かなりハードルの高い目標が設定されているのですが、これこそが学園創設の夢を現実に変えた創立者の真剣な思いであり、生き方であったのです。

開学60周年を迎えた2020年に当たり、本学にとって「初めから聞いていたこと」である「バイブル中心の教育」と「毎日毎日の行い、心のおき方をバイブルにあるとおりに」実行するということが、創立者の願いであったということを改めて確認するとき、わたしたちひとりひとりが創立者の思いを改めて「心に留め続ける」ことが必要ではないでしょうか。幸いなことに、現在も酪農学園大学では建学原論とキリスト教学を通して、そして大学礼拝を通じて「バイブル中心の教育」が実践されています。しかし、60周年を超えて、これから100週年を見据えるとき、「バイブル中心の教育」と「毎日毎日の行い、心のおき方をバイブルにあるとおりに」実行するという「初めから聞いていたことを、心に留め続ける」ことのできる酪農学園大学であり続けるためには、今本当に必要なことは何なのかを改めて「心に留め続ける」ことが大切ではないでしょうか。

《『酪農学園史 三』より》