2024年度アドヴェント(待降節)礼拝(2024年12月3日)動画の配信
Date:2024.12.03
2024年度アドヴェント(後学期第11回)礼拝
【大学礼拝動画の配信】
2024年12月3日のアドヴェント礼拝動画の配信をします。
視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1XF9WPDIc_061XH1m9ssVmueTl-6CoZ4m/view?usp=sharing
【本日の聖書】
ヨハネによる福音書5章20b−21節
【新共同訳聖書】
20b また、これらのことよりも大きな業を子にお示しになって、あなたたちが驚くことになる。 21すなわち、父が死者を復活させて命をお与えになるように、子も、与えたいと思う者に命を与える。
【本日の奨励】
「生かされているという大いなる奇跡」
小林昭博(宗教主任)
教会暦では12月1日よりアドヴェント(待降節)に入り、本学でも1本目のロウソクに火が灯りました。4本のロウソク全てに火が灯ると、クリスマスになります。これまでは華やかなクリスマスを過ごしてきたと思いますが、クリスマスの賑やかな喧騒を暫し離れ、キリスト教主義大学においてクリスマスの真の意味を考えるアドヴェントをお過ごしください。
本日の聖書はベトザタの池の奇跡に伴うイエスの説教の続きです。20節後半は神によってこの世界に遣わされたイエスの働きが大きな業であり、それは神からイエスに示され、それがイエスを通して人々に伝えられ、それが驚きとなって世界に拡がっていくことが述べられています。ここで「驚く」と訳されているθαυμάζω(タウマゾー)は、福音書では奇跡を経験して驚くときに使われる用語であり、ここでイエスが言う大きな業こそがヨハネ福音書が最も大切にしている内容だということが分かります。そして、その大きな業が何なのかは後続の21節に記されています。21節は新共同訳聖書では新たに命を与えるかのように訳されていますが、正確には「つまり、父が死者を甦らせて生かすように、息子もまた自分が望む者を生かすからである」と訳すのが適切です。ここで用いられているギリシャ語はζωοποιέω(ゾーオポイエオー)という動詞です。「生きている」を意味する形容詞のζωός(ゾーオス)と「作る」や「する」を意味し、英語のmakeに相当する動詞のποιέω(ポイエオー)から成る合成語であり、「命を作る」(命を与える)と訳すこともできますが、ヨハネ福音書の永遠の命の理解からすると、「生かす」という意味で用いられているとするのが至当です。つまり、ヨハネ福音書においては、復活の命ないし永遠の命とは、現世の肉体の命が尽きた後に与えられる新たな霊的な命ではなく、今、ここで生かされている命がすでに復活の命であり、永遠の命だからです。
2020年に始まったパンデミックは当たり前のことが叶わない非日常をもたらしました。最近は漸く平穏な日常が戻ってきたかのようにも感じられますが、実際にはこの間に世界は大きく変化しました。しかし、パンデミックの混乱だけではなく、ウクライナやガザの戦争の報道も、政治の混乱も、そして経済の危機も、社会の不安も、それら全てが一過性のものとして消費されてしまっています。AIが勧めるショート動画が次から次に自動で流れ、直前のものすら忘れてしまい、次の新たなものに移り、刹那が延々と続くような世界線です。このような世界線において、クリスマスもまた同様に消費されています。キリスト教主義に立つ酪農学園大学でも同様の世界線に取り込まれ、クリスマスの真の意味が忘れられてはいないでしょうか。クリスマスは光の祭典です。それは暗闇の世界に灯された命の光を表します。アドヴェントの季節にイエス・キリストの降誕を待望するというのは、幼子イエスに象徴される小さな命が暗闇に灯された光のように大切であることに想いを寄せることでもあります。命すら消費されてしまう現代世界において、自分が今生きていることが、今自分が生かされていることが、大いなる奇跡だということに思いを馳せてみてください。
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1XF9WPDIc_061XH1m9ssVmueTl-6CoZ4m/view?usp=sharing