2022年7月5日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2022.07.04

2022年度前学期第12回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

    https://drive.google.com/file/d/1CNpij1I_huewGEqhQuMje9dCzvtyH5Po/view?usp=sharing

    【本日の聖書】

    フィリピの信徒への手紙4章9節

    【新共同訳聖書】  

     9わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。

     

    【本日の奨励】

    「すべて平和のために」

     フィリピ4:9はパウロがフィリピの教会の人たちにパウロがこれまで伝えてきたことを実践するように命じているのですが、それは全て平和のためなのだと伝えています。9節aはパウロから「学んだこと」「受けたこと」聞いたこと」「見たこと」の4種類のことを実践するようにとの勧めです。少し細かいことになりますが、新共同訳聖書の訳文には、「わたしから」と「わたしについて」というふたつの異なる表現が見られます。しかし、ギリシャ語の原文には「から」と「ついて」という別の前置詞は使われてはおらず、これらの4種類のことを並べた後、最後にἐν ἐμοίエン・エモイ)という前置詞句が置かれています。このἐν(エン)という前置詞は「〜のなか」や「〜において」が基本の意味ですので、ἐν ἐμοί「わたしのなかに」「わたしにおいて」という意味です。ですから、9節aは、フィリピの教会の人たちがこれまで「パウロにおいて学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを実行しなさい」と勧めているのです。少し語釈をしていきますが、「学ぶ」は「弟子」と訳される語と同根ですので、まさに「弟子入りして学ぶ」といった意味です。ギリシャ語の辞書にはto gain knowledge or skill by instructionとありますので、本学での農食環境獣医学の教育によって知識や技術を身につけることも同じことだと言えます。「受ける」はイエスの伝承を「受け取る」ときの術語です。本学で言えば、三愛主義や健土健民をみなさんが伝承されて受け取るということに相当するでしょうか。「聞く」は単に「聞く」というだけではなく、「聞き従う」という意味にも使われますので、本学に当てはめると、単に授業や実習に参加するというのではなく、その内容を身につけて実践するということです。「見る」は単に「見る」という行為を表すだけではなく、イエスを「目撃する」、イエスの事績を「目撃してその証人になる」という意味でも使われます。本学の状況に応用すると、学生のみなさんはまさに三愛主義や健土健民の証人ですので、酪農学園の未来はみなさんに託されているということです。9節bはパウロにおいて学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを実行すれば、平和の神が一緒にいてくださるであろうという未来の希望が語られています。9節bの主動詞は英語のbe動詞に相当するεἰμίエイミ)動画が使われていますが、未来形が用いられています。つまり、そのときに一緒にいるというのではなく、未来にわたって共にいてくださるという希望や約束が語られているということです。
    フィリピ4:9において、フィリピの教会の人たちが「パウロにおいて学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たことを実行しなさい」と勧められているのは「平和の神が共にいてくださるであろう」という現在から未来へと続く希望と約束のためなのです。このことから本日の奨励題は「すべて平和のために」と付したのですが、それはわたしたちが「学んだこと、受けたこと、聞いたこと、見たこと」に象徴される人間のあらゆる営為は「すべて平和のために」あるということを今日の聖書から感得したからにほかなりません。平和が失われている世界において、酪農学園大学の使命が平和のためにあるということを再確認して歩みたいと思います。

     

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