2022年5月17日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2022.05.13

2022年度前学期第5回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1XwFgWGY5LWUb49-PbDp4d4ZdTZUtf_jB/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

フィリピの信徒への手紙4章1節

【新共同訳聖書】  

 1だから、わたしが愛し、慕っている兄弟たち、わたしの喜びであり、冠である愛する人たち、このように主によってしっかりと立ちなさい。

 

【本日の奨励】

「かけがえのない人へ」

 本日の聖書テクストはフィリピの教会の人たちを大切にするパウロの思いの丈が記されています。新共同訳聖書は日本語として通るように訳していますが、フィリピ4:1の原文を直訳すると、「それゆえ、わたしの兄弟たちよ、愛する者たちよ、切望する者たちよ、わたしの喜びよ、わたしの冠よ、このようにあなたたちは主において立ちなさい、愛する者たちよ」となります。このように文法的には少しおかしな表現になっているのですが、この文面からパウロがいかにフィリピの教会の人たちを深く愛し慕っていたのかがヴィヴィッドに伝わってきます。「愛する者たちよ」(ἀγαπητοίアガペートイ)という表現は最後にもう一度繰り返されていますが、やはり「愛」の宗教であるキリスト教にとって最も重要な賞賛の呼びかけだと言えます。続く「切望する者たちよ」(ἐπιπόθητοιエピポテートイ)は「探し求める」が原意ですが、「思慕する」や「恋慕う」といった意味合いもありますので(新共同訳参照)、目に入れても痛くない大切な存在という感じが伝わってきます。次の「喜び」(χαράカーラ)は心が躍るような気持ちであり、「冠」(στέφανόςステファノス)は月桂樹の冠に象徴される勝利者の徴や最高の栄誉を表します。このようにパウロは畳み掛けるようにしてフィリピの教会の人たちを称賛しています。思いつくままに感嘆の言葉を並べているのです。好きに溢れているといった感じでしょうか。
フィリピ4:1の短いテクストから、パウロにとってフィリピの教会の人たちが他に代えることのできないかけがえのない存在だということが伝わってきます。19世紀のデンマークの哲学者セーレン・キェルケゴール(1813〜1855年)は実存主義の創始者ですが、「実存」(existentia)とは――抽象的な「本質」(essentia)の反対の概念であり――「他に代えることのできない存在」を表します。キェルケゴールは「自己」という実存に拘り続けたのですが、パウロはフィリピの教会という「他者」をかけがえのない存在として讃えています。学生のみなさんが自分自身をかけがえのはい存在として大切にしつつ、この大学でかけがえのない存在である誰かに出会えるように心より願っています。

 

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