2021年12月14日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2021.12.09

2021年度後学期第13回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/16322kwfUU0wuI0wiHL0jEpaBS6Ouhdid/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

フィリピの信徒への手紙3章2−11節

【新共同訳聖書】  

 2あの犬どもに注意しなさい。よこしまな働き手たちに気をつけなさい。切り傷にすぎない割礼を持つ者たちを警戒しなさい。3彼らではなく、わたしたちこそ真の割礼を受けた者です。わたしたちは神の霊によって礼拝し、キリスト・イエスを誇りとし、肉に頼らないからです。4とはいえ、肉にも頼ろうと思えば、わたしは頼れなくはない。だれかほかに、肉に頼れると思う人がいるなら、わたしはなおさらのことです。5わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、6熱心さの点では教会の迫害者、律法の義については非のうちどころのない者でした。7しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失と見なすようになったのです。8そればかりか、わたしの主キリスト・イエスを知ることのあまりのすばらしさに、今では他の一切を損失とみています。キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています。キリストを得、9キリストの内にいる者と認められるためです。わたしには、律法から生じる自分の義ではなく、キリストへの信仰による義、信仰に基づいて神から与えられる義があります。10わたしは、キリストとその復活の力とを知り、その苦しみにあずかって、その死の姿にあやかりながら、11何とかして死者の中からの復活に達したいのです。

 

【本日の奨励】

「信――自力作善から他力本願へ」

 フィリピ3:2−11は奨励題に示したように、「信――自力作善から他力本願へ」という内容が描かれています。2−3節は肉の力に象徴される自力を頼みとするのではなく、イエスを誇りとすることに示される他力に頼ることを勧めています。4−6節は肉を頼りとする者たちに対して、パウロは自らがベニヤミン族出身の生粋のヘブライ人(ユダヤ人)、ファリサイ派の律法を学んだエリート、教会を迫害するほどの熱烈なユダヤ教徒、律法遵守に徹した義人であると敢えて肉の力を誇っています。しかし、7−11節からも分かるように、これはパウロが相手にマウントを取るために行った発言ではなく、肉に頼る生き方や肉の力を誇るエリート主義や能力主義を一切合切打ち棄て、それが「塵芥」に過ぎないことを強調するために言っているのです。おそらく、ここには「生まれ」や「能力」などの肉の力に拘り誇っていたかつての自分の姿を見ていたものと思われます。そして、パウロは「律法から生じる自分の義」(自力作善)ではなく、「キリストの信による義」(他力本願)によって救いに到達したいと切望しています。
本日の聖書でパウロはかつての自分がエリート主義に染まり切っていたことを反省し、自分の力によって他者を見下して蹴落とす生き方から、イエス・キリストの「信」(πίστιςピスティス)に希望を見出す生き方に変えられたと宣言しています。「キリストのピスティス」は従来「キリストを信じる信仰」と理解されてきたましたが、現在では「キリストの神に対する誠実さ」として理解され、これは「自力作善」という自分の力を絶対視する能力主義やエリート主義の対極にある、全てを神とキリストに委ね切る――パウロと親鸞に通底する――「他力本願」の信(信頼)の道です。

 

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