2021年10月19日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2021.10.14

2021年度後学期第5回

大学礼拝(リモート礼拝)

礼拝動画の配信

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/18aD6n8s0uUqcTcT-xLXEWSe4d7WJnpEN/view?usp=sharing

 

 

聖書 フィリピの信徒への手紙2章5−11節

奨励 「キリストの謙卑(ケノーシス)――キリスト讃歌」小林昭博先生(宗教主任)

 

【本日の聖書】

フィリピの信徒への手紙2章5−11節

【新共同訳聖書】

 5互いにこのことを心がけなさい。それはキリスト・イエスにもみられるものです。
6 キリストは、神の身分でありながら、
神と等しい者であることに固執しようとは思わず、
7 かえって自分を無にして、僕の身分になり、
人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、
8 へりくだって、死に至るまで、
それも十字架の死に至るまで従順でした。
9 このため、神はキリストを高く上げ、
あらゆる名にまさる名をお与えになりました。
10 こうして、天上のもの、地上のもの、
地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、

        11 すべての舌が、「イエス・キリストは主である」

          と公に宣べて、父である神をたたえるのです。

 

【本日の奨励】

「キリストの謙卑(ケノーシス)――キリスト讃歌」

本日お読みするのは「キリスト讃歌」と呼ばれる有名な聖書箇所です。新共同訳聖書は散文にしていますが、ギリシャ語校訂本(Nestle/Aland, Novum Testamentum Graece, 282012)では詩文にしているということもあり、週報では新共同訳の訳文を詩文の形式に変えて引用してみました。
キリスト讃歌はパウロ以前(おそらく40年代)に創作され、神の子が地上に到来し、十字架で死に、神に甦らされて神と同じ主になったと讃えています。現代からすると典型的な古代の世界観ですが、最初期のキリスト教の信仰観が表れています。6−8節は神と等しくあったイエスが人間と同じ姿となり、人に仕える無私の愛を貫いてこの世界を生き、十字架の処刑死に至るまで謙遜さと神への従順さを貫いたと伝えています。9−11節はイエスが謙遜さと従順さのゆえに神に甦らされ、救い主として信じられるようになり、すべてを治める主と告白されるようになったと述べています。
「謙卑」(けんぴ)とは――漢語としては朱熹(朱子)『論語集注』(1178年頃)に「謙卑遜順」の用例がありますが――κένωσις(ケノーシス)という神学用語の訳語であり、7節で「無にして」と訳されているκενόω(ケノオー)はその動詞形です。つまり、イエスが救い主や主と称されるようになったのは徹底的に自らを低くしたからだというのです。尊大に人を見下すのではなく、謙虚に人に接するのがイエスの示した生き方なのです。

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。