2024年度後学期第9回(2024年11月19日)大学礼拝動画の配信
Date:2024.11.19
2024年度後学期第9回大学礼拝
【大学礼拝動画の配信】
2024年11月19日の大学礼拝動画の配信をします。
視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1EzECuMdEBTPXPJSGv0X51MfIodPX2t0y/view?usp=sharing
【本日の聖書】
ヨハネによる福音書5章16−18節
【新共同訳聖書】
16そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。 17イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」 18このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。
【本日の奨励】
「Missio Dei(神の宣教)――この世界に参与する」
小林昭博(宗教主任)
本日の聖書は安息日にベトザタの池で38年間も病気に苦しんだ人をイエスが癒したことに対するユダヤの権力者たちの反応が記されています。
16節は先週お読みした15節においてイエスに癒やされた人がユダヤ当局に自分を癒した人がイエスであると伝えてしまったのを契機として、安息日律法を破った廉でイエスをしつこく何度も迫害をしたことが伝えられています。新共同訳聖書は「迫害し始めた」と訳していますが、ここで使われている未完了過去(imperfectum)という時制(tense)は過去における継続や反復を表しますので、正確にはイエスが何度も繰り返し安息日に治癒を行ったので、ユダヤの権力者がイエスを何度も繰り返し迫害したというニュアンスです。17節は権力者の迫害に対するイエスの反論です。ここでイエスは自らの働きを神の働きに準えています。しかし、18節からも窺われるように、このような物言いはユダヤ教では神に対する冒瀆でしかありませんでした。しかもイエスが神を「わたしの父」と呼び、神との特別な親しい関係にあると自称したこととも相俟って、ユダヤの権力者たちはイエスが自分を神と等しい者とする傲慢で瀆神な輩であるとして、イエスを殺そうとつけ狙うようになったとヨハネ福音書は伝えています。
本日の奨励題のMissio Deiは1952年にスイスの神学者カール・ハルテンシュタインが用いた「神の宣教」を意味する神学用語です。これは第二次世界大戦の省察と平和を希求する新たな時代において、この世界の問題に関わることは、人間が自らの目的に基づいてこの世界の問題を解決することであるのみならず、この世界に対する「神の働き」に人間が参与することにほかならないとの考えです。ですから、この場合のラテン語のmissioには「宣教/派遣/使命/働き」といった複合的な意味が込められており、キリスト教が――来世の問題のみならず――現世の問題を自らの「宣教」の「使命」として積極的に関わっていくのは、この世界に対するMissio Deiという神の働きに参与するために「派遣」されているからにほかならないということです。その意味では、ヨハネ5:17においてイエスが神の働きと自らの働きを重ね合わせているのは、イエスがMissio Deiの初穂として神から遣わされてきた使命を実践しているというヨハネ福音書の神学を表しているのです。そして、この使命を本学に当てはめれば、それは「農食環境」と「獣医」の両学群の教育と研究を通して、この世界に参与することが、キリスト教主義大学としての本学のMissio Deiだと言えます。
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1EzECuMdEBTPXPJSGv0X51MfIodPX2t0y/view?usp=sharing