2024年度後学期第8回(2024年11月12日)大学礼拝動画の配信

Date:2024.11.12

2024年度後学期第8回大学礼拝

【大学礼拝動画の配信】

2024年11月12日の大学礼拝動画の配信をします。

視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1C4qSCflVODfOz2FBSIvnleyGMGWbRKTa/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

ヨハネによる福音書5章14−15節

【新共同訳聖書】

 14その後、イエスは、神殿の境内でこの人に出会って言われた。「あなたは良くなったのだ。もう、罪を犯してはいけない。さもないと、もっと悪いことが起こるかもしれない。」 15この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。

 【本日の奨励】

「恩を仇で返すような人にはなりたくない」
小林昭博(宗教主任)

 本日の聖書はベトザタの池で癒された人がイエスと再会する場面です。前回の礼拝でお読みした9−13節bに記されているように、この人が癒されたのは安息日であり、治療行為が安息日に禁止されていた労働に当たるとの理由から、イエスを告発するために、ユダヤ当局がこの癒された人を詰問したのです。病気が罪のせいで引き起こされると信じられていた古代世界において、この人は38年もの間、社会から排除され、散々な目に遭ってきたのです。ユダヤ当局からいきなり難詰されてしまったら、恐怖で震えてしまったに違いありません。癒した者が誰なのかが分かりしだい教えるよう命じられ、途方に暮れていたとき、14節が記すように、この人はイエスと神殿の境内で再会したのです。ここでイエスが伝えた言葉は、罪のために病気になるという考え方や安息日に治癒という人を幸せにすることを否定する在り方を批判しています。しかし、15節においてこの人は自分を癒してくれたのがイエスであるとユダヤ当局に伝えてしまうのです。
その顛末は次週からお話ししていきますが、今日の礼拝ではイエスに癒やされた人の対応について考えます。奨励題には「恩を仇で返すような人にはなりたくない」という批判的な内容をつけましたが、この人は病気のため、38年間も宗教的・社会的・経済的に阻害されてきたのですから、ユダヤ当局から脅され、恐怖のあまりイエスのことを密告してしまったとしても仕方のないことかもしれません。何よりも悪辣なのは力を持つ側だからです。現在の政治状況や社会に蔓延するパワハラの問題が物語るように、力を持つ者は自らの力に慢心し、自分が力を持つことに無自覚なことも多いのです。忖度が働き、内部告発が潰されたり、告発者が更迭されたりすることは古代も現代も同様です。この癒された人は38年振りに「罪人」のラベルから自由になれました。漸く辿り着けた安心できる場所が奪われてしまうことが怖くて、ユダヤ当局の脅しに屈してしまわざるをえなかったのも詮ないことかもしれません。最も悪辣なのは力を持つ側であり、弱い側は恩を仇で返す負の連鎖に抗えないのが社会の現実です。しかし、それはいじめやハラスメントから助けてくれた人が迫害されてしまう社会であり、力を持つ強い側が力を持たない弱い側に罪を押しつけ、我慢を強いる社会でしかありません。わたしたちひとりひとりは確かに小さく弱い存在ですが、力を持つ側が世に蔓延り、自分を助けてくれたイエスが迫害されて十字架に追いやられてしまうような社会はどうしても嫌です。だからこそ、せめて「恩を仇で返すような人にはなりたくない」のです。

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1C4qSCflVODfOz2FBSIvnleyGMGWbRKTa/view?usp=sharing