2024年度後学期第5回(2024年10月22日)大学礼拝動画の配信
Date:2024.10.22
2024年度後学期第5回大学礼拝
【大学礼拝動画の配信】
2024年10月22日の大学礼拝動画の配信をします。
視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1mseW8mbWqGHgvccmB_nQqkwZytrm9Ihi/view?usp=sharing
《聖歌隊によるさんび》
【本日の聖書】
ヨハネによる福音書5章5−9a節
【新共同訳聖書】
5さて、そこに三十八年も病気で苦しんでいる人がいた。 6イエスは、その人が横たわっているのを見、また、もう長い間病気であるのを知って、「良くなりたいか」と言われた。 7病人は答えた。「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです。」 8イエスは言われた。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」 9すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩きだした。
【本日の奨励】
「手を差し伸べる――イエスの治癒奇跡」
小林昭博(宗教主任)
本日の聖書はベトザタの池(天使温泉)の癒しの物語の続きであり、奇跡物語の中心部が記されています。5節は38年も病気で苦しんでいたという報告によって、イエスの奇跡の凄さを強調しています。6節は病気に苦しむ人に対するイエスからの呼びかけであり、信仰を確かめる意味を持ちます。7節は癒しを願う訴えであり、天使温泉の民間説話が伝える「水が動くとき」(天使の入浴=間欠泉)、早く動けないため、ほかの人に先を越されてしまい、池(天使温泉)に入ることができない悲嘆が述べられています。8節はイエスによる癒しの宣言です。9節は治癒奇跡の証明として、病気が治り、すぐに床を担いで歩くほどに快癒したことを伝えています。
前に述べたように、奇跡物語は現代人には「躓きの石」でもありますが、そこから重要なメッセージを読み取ることもできます。この奇跡物語を再読するとき、「手を差し伸べる」ことがいかに大切であるのかが伝わってきます。この人は38年も病気で苦しみ、ベトザタの池に通い詰め、「天使温泉」の奇跡を求めてきました。しかし、病気のため早く動けないゆえに、悲嘆に暮れていたのです。しかも、古代世界では病は悪霊の仕業とされており、病人は穢れた人として社会から排除され、その人に接触する人も穢れると信じられていたために、誰も助けてくれなかったのです。しかし、そこに突如としてイエスが現れ、ためらうことなく声をかけ、手を差し伸べたのです。新型コロナウイルスのパンデミックのとき、罹患者のみならず、医療従事者やその家族なども穢れているかのように差別されたことは記憶に新しく、それは3.11の後に福島から各地に避難した人たちを穢れているかのようにする差別が横行したことの反省が全く活かされなかったことをも意味します。そして、これはいじめやハラスメントにも共通する問題です。苦しみ悩んでいる人に「手を差し伸べる」難しさと大切さは現代を生きるわたしたちにとってもとても大きな課題ではないでしょうか。
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1mseW8mbWqGHgvccmB_nQqkwZytrm9Ihi/view?usp=sharing