2024年度後学期第2回(2024年10月1日)大学礼拝動画の配信

Date:2024.10.01

2024年度後学期第2回大学礼拝

【大学礼拝動画の配信】

2024年10月1日の大学礼拝動画の配信をします。

視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1DMrTzOqBQewgA5A-OaQ3orDPkBEfFEmJ/view?usp=sharing

 

《聖歌隊によるさんび》

【本日の聖書】

ヨハネによる福音書4章48−50節

【新共同訳聖書】

 48イエスは役人に、「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言われた。49役人は、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と言った。50イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。

 【本日の奨励】
「命をめぐるやりとり――何度でも何度でも」
小林昭博(宗教主任)

 本日の聖書は王の役人の息子の癒しの物語の続きです。先週お読みした46−47節でこの役人は瀕死の状態の息子を助けて欲しいとイエスに願っています。しかし、今日の聖書の48節でイエスはこの役人に厳しい言葉を浴びせます。ヨハネ福音書が描くイエスには厳しく人に接する場面があるのですが、同じしるし資料から採られたカナの婚宴の物語でも、イエスが母マリアを最初は冷たく突き放していますので、このような少し意地悪というか、ツンデレなイエスを描くのはしるし資料の特徴と言えるのかもしれません。しかし、49節でこの役人はイエスに自分の息子を助けて欲しいと改めて懇願します。このように臆さずに息子を救って欲しいと願い続ける役人の姿から命の重さが伝わってきます。そして、役人がしつこく「何度でも何度でも」求め続けるのを待っていたかのように、50節でイエスはこの息子を癒します。新共同訳聖書はイエスの癒しの宣言を「あなたの息子は生きる」と訳していますが、正確には「あなたの息子は生きている」(岩波訳、田川訳)です。「大丈夫だよ、あなたの息子は無事に生きているよ」といったニュアンスです。先ほどヨハネ福音書のイエスがツンデレだと申したのですが、これはまさに48節のツンから50節のデレにイエスの表情が変わった瞬間ではないでしょうか。そして、この役人は「あなたの息子は生きているよ」というイエスの言葉を信じ、安堵して帰路についたのです。
本日の聖書には「命をめぐるやりとり」が描かれています。大切な人の命が助かるのなら、人はエゴイスティックにさえなります。命はそれほどまでに重く大切だからです。だからこそ、イエスに厳しくされても、この役人は息子を助けて欲しいと懇願することを止めなかったのです。「求めよ、さらば与えられん」(マタイ7:7)や「やもめと裁判官の譬」(ルカ18:1−8)からも分かるように、イエスは諦めずに「何度でも何度でも」願い続けるよう求めます。その姿は「命をめぐるやりとり」が描かれるこの場面からも伝わってくるのですが、それは誰よりもイエスが命の重さを大切にしていたからにほかなりません。本日の聖書が描く「命をめぐるやりとり」に接すると、命の重さをどこかで軽んじている自分がいることに気づかされます。中東ではガザの惨劇が周辺のレバノンにも及んでいるのですが、この世界は人を殺すことを最も重大な罪としているはずですが、ひとたび戦争となると、人を殺すことが栄誉とされる絶対矛盾を抱えています。無差別に市民が殺害されているガザ、そしてレバノンの惨状が続いているとき、現実は変えられないと言われようとも、しつこいと言われようとも、「何度でも何度でも」命を大切にすることを諦めたくないのです。

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1DMrTzOqBQewgA5A-OaQ3orDPkBEfFEmJ/view?usp=sharing