2024年度前学期第11回(2024年6月25日)大学礼拝動画の配信

Date:2024.06.25

2024年度前学期第11回大学礼拝

【大学礼拝動画の配信】

2024年6月25日の大学礼拝動画の配信をします。

視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1hrdI5rSMvpGvJ-Qfi5Kq3AiOrVkzcRpM/view?usp=sharing

 

【聖歌隊のさんび(歌声は上のリンクの動画で)】

【本日の聖書】

ヨハネによる福音書4章34−38節

【新共同訳聖書】

 34イエスは言われた。「わたしの食べ物とは、わたしをお遣わしになった方の御心を行い、その業を成し遂げることである。 35あなたがたは、『刈り入れまでまだ四か月もある』と言っているではないか。わたしは言っておく。目を上げて畑を見るがよい。色づいて刈り入れを待っている。既に、 36刈り入れる人は報酬を受け、永遠の命に至る実を集めている。こうして、種を蒔く人も刈る人も、共に喜ぶのである。 37そこで、『一人が種を蒔き、別の人が刈り入れる』ということわざのとおりになる。 38あなたがたが自分では労苦しなかったものを刈り入れるために、わたしはあなたがたを遣わした。他の人々が労苦し、あなたがたはその労苦の実りにあずかっている。」

 【本日の奨励】
「共に働く人になる――種を蒔く人と刈り入れる人」
小林昭博(宗教主任)

 本日の聖書はイエスが働くうえで本当に大切なことはいったどういうことなのかを農業の譬を用いて教えています。34節はイエスの言う食べ物が現実の食事のことではなく、「人はパンのみによって生きるにあらず」(マタイ4:4)という有名な言葉のように、人には内面を生かす真の栄養が必要であると説いています。35節はイエスの死が間近に迫っていることを暗示しつつ、目の前に色づく実りが刈り入れを待っており、すでに時間が差し迫っているのだから、刈り入れに専心するよう伝えています。36節は宗教的な永遠の命に触れつつ、刈り入れる人が得る報酬は種を蒔いた人の働きによって実を結んだものなのだから、刈り入れた人だけでなく、種を蒔く人と共に収穫を喜ぶよう促しています。37節は当時の人生訓であり、種を蒔く人と刈り入れをする人が全く別であるという現実の問題を炙り出しています。ここでは弟子が刈り入れているのはイエスが蒔いた種の実りであり、そして38節が伝えるように、イエス後のエルサレム教会が刈り入れているのもまた、サマリア教会が労苦して蒔いた種の実りであるのだから、種を蒔いた人と収穫の喜びを分かち合うよう勧めているのです。
今日の聖書の言葉を理解するには、古代地中海世界の農業が自作農から大土地所有者による季節労働者や日雇い労働者の酷使を前提とする小作農に転換した社会史的状況を念頭に置く必要があります。労働は安い賃金の不安定雇用の労働者に担わせ、収穫(儲け)は大土地所有者が専有する農業市場が登場したということです。これは現代世界の穀物メジャー等のグローバル企業の問題だけではなく、多様な働き方や働き方改革という美名を用いた派遣労働法で大企業が儲かるシステムにも通底する問題です。また、部下に下働きをさせ、上司が手柄を横取りするのも同じことです。これらのことは自分で種を蒔くことも実りを刈り入れることもせずに、特定の人たちが収穫(儲け)を独占することを可能とし、それを良しとする社会を肯定することにつながります。つまり、心身をすり減らして現場で働いて疲弊する人たちが量産される一方で、手柄や収益は社会の上澄みにいる人たちが攫っていってしまう社会が、古代地中海世界に広がっていたということです。そして、この現実は新自由主義を標榜する現代世界とも無縁のことではなく、働くことの意味、意欲、素晴らしさが奪われてしまっています。イエスの言う「わたしの食べ物」が象徴する人の内面を真に生かし、活力を与えるものが奪い取られてしまっているのです。本学が「種を蒔く人と刈り入れる人」が「共に働く人になる」ことのできる愛と優しさの種を蒔き、その実りを共に収穫できる学び舎になれるよう願います。

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1hrdI5rSMvpGvJ-Qfi5Kq3AiOrVkzcRpM/view?usp=sharing