2024年度前学期第5回(2024年5月14日)大学礼拝動画の配信
Date:2024.05.14
2024年度前学期第5回大学礼拝
【大学礼拝動画の配信】
2024年5月14日の大学礼拝動画の配信をします。
視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1iPCWkQYs9-W7Y1qNLQQ9GpB0juDEAmLR/view?usp=drive_link
【酪農学園大学聖歌隊によるさんび』
【本日の聖書】
ヨハネによる福音書4章21−24節
【新共同訳聖書】
21イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。 22あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。 23しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。 24神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。」
【本日の奨励】
「本当の礼拝とは?――霊と真理による礼拝」
小林昭博(宗教主任)
本日の聖書は礼拝の真の意味、すなわち礼拝の外面的・形式的な面でなく、内面的・霊的(精神的)な面の大は切さに思いを至らせています。21−22節は人間の欲望の坩堝となる聖地や聖所(神殿)が否定され、ユダヤの聖地であるエルサレムでも、サマリアの聖地であるゲルジム山でもなく、――パウロのアテナイのアレオパゴスでの「知られざる神に」(使徒17:16-34)の説教と通底する――何か見たり触れたりすることのできる知らないもの(偶像)ではなく、内面的・霊的(精神的)に知っているものを礼拝する時がイエスによってもたらされたと語っています。23−24節はイエスによる真実の礼拝の時の到来が宣言されています。神は目で見たり、手で触れたりできる物質的な存在ではなく、霊的な存在であるゆえに、その神を礼拝する者も物質的・外面的な礼拝ではなく、内面的・霊的(精神的)な礼拝、霊と真理による礼拝をすることが枢要だというのです。
本日のテクストにおいてイエスが礼拝について語る内容はきわめてラディカルなものです。聖地であるエルサレムやゲルジム山、すなわちエルサレムの神殿やゲルジムの神殿という聖所の存在をしているからです。これは神殿宗教であるユダヤ教やサマリア教を根本から覆します。神殿を意味するギリシャ語ἱερόν(ヒエロン)は「聖なる」を意味する形容詞ἱερός(ヒエロス)の中性形を名詞化したものであり、文字通り「聖なる場所=聖所」を表します。特別な場所を聖地に定め、その聖地を記念して聖所=神殿が創建されます。聖地に聖所=神殿を創り、そこで礼拝することが大切だとされます。しかし、イエスはどこで礼拝をするか、どのように礼拝をするのかといった外面的なことは礼拝の本質とは無関係であると宣言するのです。その理由は「神は霊であり、神を礼拝する者たちもまた霊と真理において礼拝する必要がある」(24節のギリシャ語の直訳)というものです。霊と真理はギリシャのイデア論でも最重要とされるものです。黒澤記念講堂に集うときにも、そして講堂に集えないときにも、霊と真理が意味する全身全霊で真心からの思いを込めて讃美歌を歌い、聖書の言葉に聞き、祈りをともにする酪農学園大学の礼拝を続けていきたいと願っています。
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1iPCWkQYs9-W7Y1qNLQQ9GpB0juDEAmLR/view?usp=drive_link