2023年10月3日の大学礼拝動画の配信
Date:2023.10.03
2023年度後学期第2回大学礼拝
【大学礼拝動画の配信】
2023年10月3日の大学礼拝動画の配信をします。
視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1eccBPwZayh38EZMIBYzOEe2dBsJ4wPIc/view?usp=sharing
【本日の聖書】
ヨハネによる福音書3章17節
【新共同訳聖書】
17神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである。
【本日の奨励】
「この世界に癒しを――SDGsとキリスト教」
小林昭博(宗教主任)
本日の聖書テクストは、前回お読みした直前の16節で神がこの世を愛し、全ての人間を救うと言われている意味を明確にしています。このテクストで「裁く」と訳されているκρίνω(クリノー[crisisやcriticalの語源])の本来の意味は「判断する」です。ですから「世を裁くためではない」というのは、世の行状を「判断」したり「吟味」したりすることなどないという愛と赦しの宣言です。なぜなら、御子(イエス)によって「世が救われる」というのは、最初に徹底した「赦し」があり、それこそが「神の愛」(無私の愛/無償の愛/与える愛/見返りを求めない愛)だからなのです。また、ここで「救う」と訳されているσῴζω(ソーゾー)は宗教的救済を意味する術語ですが、それと同時に「癒す」という意味でも用いられます。例えば、奇跡物語でイエスが病気の人をσῴζω(ソーゾー)したという場合には、θεραπεύω(テラペウオー[therapyの語源])と同じ「癒す」という意味で用いられているからです。そして、「世」と訳されているκόσμος(コスモス[cosmosの語源])の基にある動詞のκοσμέω(コスメオー[コスメ=cosmétiqueの語源])が「秩序づける」や「整える」を意味することをも勘案して、ヨハネ福音書が語る「世が救われる=世が癒やされる」という意味を現代的なSDGsの観点を加味して解釈すると、「世界」はまさにその本来の整然とした美しい自然が破壊されてしまっており、この世界はまさに美しい自然を取り戻すという「癒し」を必要としていると理解することができるのではないでしょうか。そして、現在の環境破壊の元凶が、創世記1章28−29節に基づき、人間をこの世界の支配者だと自惚れたキリスト教主義国であることは間違いありません。ですから、現在のSDGsの取り組みは、キリスト教主義国が模範を示して主導しているのではなく、その反省に立って「世が救われる=世が癒やされる」ことに参与しているというのが実態です。そして、学園創立者の黒澤酉蔵初代学園長が唱えた循環農法図(中央)、獣医学群WOAH(World Organisation for Animal Health=国際獣疫事務局)コラボレーティングセンターの概念図(左)、酪農学園が目指すSDGsに適合した次世代循環社会モデル図の作成WGが作成したモデル図(右)が示すように、本学の使命のひとつもここにあると言えるのではないでしょうか。
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1eccBPwZayh38EZMIBYzOEe2dBsJ4wPIc/view?usp=sharing