2023年7月25日の大学礼拝動画の配信(前学期最終礼拝)

Date:2023.07.25

2023年度前学期第15回大学礼拝

【大学礼拝動画の配信】

2023年7月25日の大学礼拝動画の配信をします。

視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1HulxDKPNSLIhOjKaf5dkDoXf3ufrXaDV/view?usp=sharing

2023年度前学期大学礼拝のご出席とご視聴ありがとうございます。

【本日の聖書】

ヨハネによる福音書3章13−15節

【新共同訳聖書】  

 13天から降って来た者、すなわち人の子のほかには、天に上った者はだれもいない。14そして、モーセが荒れ野で蛇を上げたように、人の子も上げられねばならない。15それは、信じる者が皆、人の子によって永遠の命を得るためである。

【本日の奨励】

「復活信仰の成立――キリスト教の始まり」
小林昭博(宗教主任)

 本日の聖書もイエスとニコデモの対話ですが、この部分は本来の対話ではなく、イエスの説教に内容が変わっています。このような物語からイエスの説教への変化はヨハネ福音書の特徴でもあります。13節はヨハネ福音書のプロローグの「ロゴス讃歌」(1:1−18)においてイエスが世の創られる前の永遠から存在した神の独り子であり、十字架を経た復活後に天に上げられたキリストでもあるとの教理を前提としています。14節はイスラエルの民をエジプトの隷属状態から約束の地カナン(パレスティナ)に導き上った旧約聖書のモーセの事績に基づき、民数21:4−9において「青銅の蛇」がイスラエルの民の代償として木に上げられた故事を引き合いに出し、イエスも十字架に上げられねばならない運命にあると語っています(ヨハネ8:28、12:32︎−33参照)。15節はイエスの十字架が人間の罪を赦すためのものであると述べていますが、ここには青銅の蛇の故事との類型論(Typologie予型論)から、人々の罪の代償に自らの生命を捧げ、人々に生命を取り戻させるのがイエスの十字架の意味だとするユダヤ教の動物犠牲の祭儀から生じたキリスト教の贖罪信仰が言い表されています。
本日の聖書は現代人には神話的表象に彩られた昔話に過ぎないかもしれませんが、幼少期から旧約聖書の物語を聞いてきた古代世界の人たちにとっては――現代の子どもたちが昔話を聞いたり、絵本を読んだりするように――胸がワクワクする不思議な物語だったのです。現代人は聖書をワクワクしながら読む感覚を失ってしまったのかもしれません。キリスト教は十字架で非業の死を遂げたイエスの復活を目撃したという不思議な経験をした人たちの間から誕生しました。現代人には躓きとなる復活ですが、イエスがなぜあのように無残に殺されねばならなかったのかに茫然自失となった弟子たちにとって、イエスの復活を信じることがまさに救いだったのです。そして「復活信仰の成立」によって、弟子たちはイエスの十字架が自分たちのための贖罪死だということを旧約聖書が予型として示していると信じるようになり、「キリスト教の始まり」が訪れたのです。

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1HulxDKPNSLIhOjKaf5dkDoXf3ufrXaDV/view?usp=sharing