2023年7月18日の大学礼拝動画の配信

Date:2023.07.18

2023年度前学期第14回大学礼拝

【大学礼拝動画の配信】

 

2023年7月18日の大学礼拝動画の配信をします。

視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1uc9dzWsUOMVZFZ-Gq6hkZnIyusEJi2Ib/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

ヨハネによる福音書3章11−12節

【新共同訳聖書】  

 11はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。12わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。

【本日の奨励】

「好奇心を持ち続ける――信仰と学問」
小林昭博(宗教主任)

 本日の聖書はイエスとニコデモの対話の続きです。11節は「アーメン、アーメン」から始まるイエスの言葉であり、特に大切なことを告げるさいに注意を喚起する説話法です。ここでイエスは「わたし」ではなく、「わたしたち」と複数で語っていますが、続く12節を見ると、イエスは再び「わたし」と単数で語っています。また、11節と12節の両方で、イエスが語っている相手がニコデモというひとりの人物ではなく、「あなたがた」という複数形になっています。これはヨハネ福音書の本来のテクストに最終編集者が改変を施したものとして理解されます。ですから、これはイエスとニコデモとの間の対話であると同時に、最終編集者の「教会」(わたしたち)と「ユダヤ教」(あなたがた)との間の対話でもあるのです。11節で用いられている「証し」(μαρτυρίαマルテュリア)という語は、ヨハネ福音書が書かれた1世紀末〜2世紀初頭には「殉教」という意味でも用いられるようになっていました。殉教を意味する英語のmartyrdomが変わったスペルなのは、このギリシャ語を語源にしているからです。これは迫害下にイエスを「証し」することがそのまま「殉教」につながったゆえに生じた新たな意味であり、この背後には生命を落とした多くの人たちがいた歴史が隠されています。このような歴史的状況から考えると、11節の言葉はイエスが語っているようでありながら、イエスの十字架刑という出来事を経たヨハネ教会の立場から、イエスがキリスト(メシア)であることを受け入れない者たちに対する批判でもあり、さらには最終編集者の立場から、イエスをメシアとして信じるがゆえに迫害されている自分たちの窮状をも重ね合わせるように言及しているのだと考えられます。12節は「地上のこと」と「天上のこと」という二元論的な世界観を前提としています。前者の「地上のこと」はイエスがニコデモに求めた「新しく生まれ変わること」を意味します。後者の「天上のこと」はイエスの「先在、受肉、死、復活、高挙後在)」といった一連の出来事を表します。したがって、「新しく生まれ変わること」という比喩が理解できないのであれば、「先在、受肉、死、復活、高挙(後在)」などを信じることなどできようはずがないと言っているのです。現代のわたしたちは科学的世界観に基づいて思考していますので、宗教の教えを非科学的なものとして斥けてしまいがちになります。それも止むを得ないことでもあります。しかし、頭から物事を決めつけてしまうことはお勧めできません。信仰と学問は確かに相反するもののように思えますが、しかし「好奇心を持ち続ける」ということでは共通するのです。「学問/科学」(scientia)の発展は不思議を「知る/理解する」(scio)ことから始まります。物事を決めつけてしまっては新たな発見も発展もありません。地上や天上という際限を設けることなく、好奇心を持ち続けるあなたでいてください。

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1uc9dzWsUOMVZFZ-Gq6hkZnIyusEJi2Ib/view?usp=sharing