2023年7月11日の大学礼拝動画の配信

Date:2023.07.11

2023年度前学期第13回大学礼拝

【大学礼拝動画の配信】

 

2023年7月11日の大学礼拝動画の配信をします。

視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1tYSHBKZ9aNK3cQEyBX-ioyiH1jfsdrHj/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

ヨハネによる福音書3章9−10節

【新共同訳聖書】  

 9するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。10イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。

【本日の奨励】

「教える者ではなく学ぶ者に」
小林昭博(宗教主任)

 本日の聖書も「イエスとニコデモの対話」(ヨハネ3:1−15)の場面の続きですが、細かく分けて読んでいますので、全体を読み通しながら、一緒に聖書の言葉に学んでいただければ幸いです。9節は「霊=内面」から新たになり、一からやり直し、「霊=風」のような自由さに生きるように求めるイエスの真意を理解できないニコデモの頑迷さが伝えられています。ニコデモは闇夜に紛れてイエスのもとにわざわざやって来たというのに、素直にイエスの言葉を受け入れることができないのです。このような態度はニコデモがユダヤ社会の指導者であり、律法学者でもあったというプライドから生じたものだと感じられます。ニコデモはイエスから学びたいと願ってやっては来たものの、彼は宗教や政治が一体となっていたユダヤ社会の指導者であり、さらに律法学者でもありますので、宗教的・政治的・学問的といった社会全体に影響力を及ぼしてきたという自負があったのです。もちろん、宗教・政治・学問の分野において第一線で活躍しているからといっても、その全員がプライドに凝り固まっているわけではありません。しかし、このときのニコデモは――後には変わるのですが――内面を問うイエスの真意が理解できずに、プライドから年若いイエスに反発してしまったのです。10節は若いイエスがニコデモに全く怯むことも忖度することもなく、ニコデモのプライドを逆撫でするようなことを敢えて言います。新共同訳聖書は控え目に訳していますが、ギリシャ語原文は「あなた」という代名詞がことさらに強調していますので、「自分こそが教師だとあなたは自負しているではないか」というニュアンスです。しかも、わざわざ「イスラエル」と付していますので、「あなたは自分こそが真のイスラエルの教師だと自負しているのに、そのあなたがこんなことすら理解できないのか」と畳み掛けるイエスと驚くニコデモの姿が浮かんできます。
ギリシャ語でも「教師」は「教える人」を意味しますが、新約聖書では「教師」になることよりも「弟子」になることを重視します。「弟子」とは「学ぶ」から派生した語であり、「学者」という言葉がまさにそうであるように、「教える者ではなく学ぶ者に」なることが求められているのです。教師と呼ばれる仕事をしていると、学生たちに「教える」ことよりも、学生たちから「学ぶ」ことの方が多いということに気づかされます。酪農学園大学が立場を超えて相互に学び合う場となるように願っています。

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

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