2023年6月20日の大学礼拝動画の配信

Date:2023.06.20

2023年度前学期第10回大学礼拝

【大学礼拝動画の配信】

 

2023年6月20日の大学礼拝動画の配信をします。

視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/17oSEmOQMLAykWn6F2uBB1DDuwpsCTdsA/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

ヨハネによる福音書3章1−4節

【新共同訳聖書】  

 1さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。2ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」3イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」4ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」

【本日の奨励】

「re-born」
小林昭博(宗教主任)

 本日の聖書はユダヤ教の指導者・長老であるニコデモというファリサイ派の人物がイエスのもとにやって来て、イエスと対話をする場面です。1節はニコデモの登場の場面です。新共同訳は彼を「議員」と訳していますが、正確には「支配者」(ἄρχωνアルコーン)と言われており、ユダヤ教の指導者や長老を表します。2節には「夜」という表現が使われています。これはこっそりとイエスのもとにやって来たことを意味します。なぜなら、「神殿での暴力」(宮清め)の事件によってイエスはすでに要注意人物だったからです。それゆえ、昼間に堂々とイエスに会うことが憚られたため、ニコデモは闇夜に紛れてイエスに会いに来たのです。このような振る舞いからすると、彼はずるい人物とも言えますが、危険を冒してでもイエスに会いに来た勇気のある人と言えるのかもしれません。しかし、2節からも分かりますように、ニコデモはイエスが行った「数々の徴」(数々の奇跡)を目の当たりにして、イエスに近寄って来たのです。これはこれまでヨハネ福音書が繰り返し批判してきた「徴」(奇跡)に象徴される「力」や「能力」に寄り頼む人間の姿を象徴しています。それゆえ、3節でイエスは「新たに生まれる」ことが「神の国」(天国)を見る条件だとニコデモにはっきりと言い放っているのです。「新たに」の原語のἄνωθεν(アノーテン)は「上から」が原意ですが、ここでは「最初から」の意ですので、「一からやり直す」といったニュアンスです。4節はニコデモの返答ですが、彼はイエスの言葉を生真面目に文字通りの意味で受け止めてしまっています。むろん、「新たに生まれる」というのは直喩ではなく、比喩や寓喩に属する修辞的な表現ですので、「精神的・霊的・内面的」(独語geistlich/仏語spirituel/英語spiritual)に「一からやり直す」ことを促しているのです。
今日の聖書だけを抜き出すと、ニコデモは少しズレた人物に映りますが、ヨハネ7:50−53ではイエスを批判する人たちに向かって堂々とイエスを擁護する発言をしていますし、ヨハネ19:38−40では十字架で処刑されたイエスの遺体を引き取るという自分に危険が及ぶことをも厭わずに行っています。ですから、このときのイエスとの出会いによって、ニコデモはre-bornを遂げているのです。酪農学園もイエスとの出会いによってre-bornした黒澤酉蔵が創設し、その志が紡がれてきました。学生のみなさんも、本学での出会いによってre-bornの経験をし、その志を継いでください。

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

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