2023年5月2日の大学礼拝動画の配信

Date:2023.05.02

2023年度前学期第3回大学礼拝

【大学礼拝動画の配信】

 

2023年5月2日の大学礼拝動画の配信をします。

視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

 

https://drive.google.com/file/d/1L7jlAoleq-u0rpZnk_KbMucvfsrbwB3i/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

ヨハネによる福音書2章1−5節

【新共同訳聖書】  

 1三日目に、ガリラヤのカナで婚礼があって、イエスの母がそこにいた。2イエスも、その弟子たちも婚礼に招かれた。3ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。4イエスは母に言われた。「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです。わたしの時はまだ来ていません。」5しかし、母は召し使いたちに、「この人が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と言った。

 

【本日の奨励】

「すれ違い」

 本日の聖書テクストは有名な「カナの婚礼」(2:1−12)の前半部分ですが、ここからコミュニケーションや親子関係について一緒に考えてみたいと思います。1節は物語の導入部であり、場面設定と登場人物の紹介がなされています。カナはイエス時代のガリラヤ地方、現在のイスラエルの北にある小村のカフル・カナーを指すと言われており、イエスの故郷のナザレの14キロほど北に位置します。2節にはイエスと弟子たちも婚礼に招かれていると書かれていますし、3節ではマリアがイエスに婚礼で提供するワインがなくなってしまったと言って心配していますので、おそらくマリアの親戚に当たる人の婚礼という場面設定だと考えられます。3節でマリアがイエスに「ぶどう酒がなくなりました」と伝えたときの4節のイエスの返答は驚くべきものです。新共同訳聖書の「婦人よ、わたしとどんなかかわりがあるのです」は、ギリシャ語の原文では「わたしとあなたに何が〔あるのか〕、女よ」です。ほぼ同じ表現がマルコ福音書1:24で悪霊がイエスに悪態をつく場面にあるのですが(新共同訳の翻訳は不正確)、息子が母親に向かって放つ言葉としては、家庭崩壊や暴言という以上に、冷徹に突き放した物言いです。4節後半の「わたしの時はまだ来ていません」はイエスの本当の姿が明らかになるのは十字架と復活後であるというヨハネの神学思想ですが、しかし5節でマリアはイエスの言動を気にする素振りすら見せていません。
本日の聖書ではイエスとマリアの微妙な関係が描かれています。カナの婚礼にはコミュニケーションや親子関係の難しさが描き出されています。それは奨励題として示した「すれ違い」です。親と子、教師と生徒、友達や知人などとの関係で、何度話しても通じ合えない経験をしたことがあると思いますが、カナの婚礼でのマリアとイエスもすれ違ったまま物語が進んでいます。字面だけを読むと、イエスの冷たさが際立ちますが、ワインを用意するよう言外に命じ、イエスの言葉をガン無視で話を進めるマリアの姿が浮かんではこないでしょうか。ここには相手の話を聞かない、自分を決して変えることのない人間の頑迷な姿が露わになっています。国会に代表されるこの国の議論が虚しく映るのは、コミュニケーションのすれ違いや自分を変えようとしない人間の姿が露呈しているからにほかなりません。それを変えるにはまずは自分が変わる可能性に道を開くことです。

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1L7jlAoleq-u0rpZnk_KbMucvfsrbwB3i/view?usp=sharing