2022年12月13日のアドヴェント第3週礼拝(リモート礼拝)のお知らせ
Date:2022.12.08
2022年度後学期第12回大学礼拝(アドヴェント第3週)
【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1yk8-fHce62luGqpjQ5Z-nbCZJLXKKHS8/view?usp=sharing
【本日の聖書】
ヨハネによる福音書1章32−34節
【新共同訳聖書】
32そしてヨハネは証しした。「わたしは、“霊”が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを見た。33わたしはこの方を知らなかった。しかし、水で洗礼を授けるためにわたしをお遣わしになった方が、『“霊”が降って、ある人にとどまるのを見たら、その人が、聖霊によって洗礼を授ける人である』とわたしに言われた。34わたしはそれを見た。だから、この方こそ神の子であると証ししたのである。」
【本日の奨励】
「風が通り抜ける新たな経験――inspiro/inspire」
本日の聖書は共観福音書ではイエスがヨハネから洗礼を受け、天から響く神の声がイエスを神の子として宣言する場面に当たりますが、ヨハネ福音書には洗礼の場面はなく、聖霊が鳩のようにイエスの上に降る描写のみがあり、洗礼者ヨハネがイエスを神の子として証言する物語になっています。32節は神の霊、聖霊が鳩のようにイエス降り、その上に留まっていますが、霊がその人の上に降り、留まるというのは旧約聖書ではメシアであることの徴です(イザヤ書11:1−2、42:1、61:1)。鳩は創世記6−9章のノアの箱舟の洪水終了後の逸話からも分かるように(創世8:6−12)、生命の再生の象徴です。33節は聖霊が降り、その上に留まるのがメシアを象徴するという内容が繰り返されています。そして、前回の礼拝でお読みしたように、メシアとして示されるイエスは「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)であり、イエスが授ける聖霊による洗礼――つまりキリスト教の洗礼――とは、ユダヤ・キリスト教の牧畜文化の宗教として、罪(原罪)の贖罪、代償の徴であり、罪の赦しを象徴するものだと言っているのです。34節は洗礼者ヨハネが先駆者としてイエスがメシアであることを証言すると述べています。11月22日の礼拝でお話ししたように、メシア信仰は世界の価値観を根底から覆すものであり、また10月6日の礼拝でお伝えしたように、「証しする」と訳されるμαρτυρέω(マルテュレオー)は後に「殉教」(martyrdom)をも意味するようになったことから推し量ると、ここには自らの使命に身を投じたヨハネの覚悟が伝わってきます。
本日の聖書で霊(聖霊)が降る、霊(聖霊)が留まるという表現が繰り返されていますが、ここから本日の奨励題を「風が通り抜ける新たな経験」とつけました。ここには副題としてつけた「inspiro/inspire」という動詞も関係します。霊を意味する単語は旧約聖書のヘブライ語ではרוּחַ(ルーアハ)、新約聖書のギリシャ語ではπνεῦμα(プネウマ)、西洋文化を代表するラテン語ではspiritusと言います。これらはすべて本来「風」や「息」を意味します。風が吹いて草木が揺れる様子を見て、古代人はその現象を目に見えないものの悪戯として、「霊」の意味をも持たせるようになりました。また、「息」を引き取るときに人間は「息」しなくなりますが、古代人は生命の終わり、死を「息」が外に出ていってしまった状態と理解し、それを生命の根源を表す「霊」として理解するようにもなったのです。英語のspiritはラテン語のspiritusに由来しますが、inspireはラテン語のinspiroが語源です。ですから、inspireやinspiration(ラテン語inspiratio)とは「風が中に吹き込まれる」ことを意味しますので、奨励題のようにまさに「風が通り抜ける新たな経験」を表すのです。新型コロナウイルス感染症対策で「空気の入れ替え」の大切さを経験していますが、個人にも組織にも新たな「空気」や「風」が必要であり、それはまさに個人や組織のスピリット(霊/精神)を生かすことでもあります。アドヴェントとはまさに「風が通り抜ける新たな経験」としてのクリスマスに備える季節です。
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1yk8-fHce62luGqpjQ5Z-nbCZJLXKKHS8/view?usp=sharing