2022年11月15日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2022.11.10

2022年度後学期第8回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1xVbdMF9pQgz2sQwO4MPRdcdLnzM-yhsK/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

ヨハネによる福音書1章15−18節

【新共同訳聖書】  

 15ヨハネは、この方について証しをし、声を張り上げて言った。「『わたしの後から来られる方は、わたしより優れている。わたしよりも先におられたからである』とわたしが言ったのは、この方のことである。」16わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。17律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れたからである。18いまだかつて、神を見た者はいない。父のふところにいる独り子である神、この方が神を示されたのである。

【本日の奨励】

「神を見た者はいない――宗教の虚実」

 本日の聖書はロゴス讃歌(ヨハネ1:1−18)を締め括るテクストです。15節の前半は共観福音書とも共通する内容ですが、後半は先在のロゴスを前提にしていますので、ヨハネ思想の特質を表しています。16節は「恵みの上に、更に恵みを」という同じ単語を重ねて強調するセム語的な表現だと考えられますので、キリストの恵みを特に強調しています。17節はパウロの「律法」と「福音」を対比させる神学と共通しており、ここではヨハネ的な「律法」と「恵みと真理」の対比に変えられています。ここにはユダヤ教からキリスト教という新たな宗教に展開していく初期キリスト教の歴史の一端が垣間見えていると申せます。18節は先在のロゴスである神の独り子イエス・キリスト以外には「神を見た者はいない」というヨハネ思想の特徴を示しています。これはギリシャ的な二元論の影響を受けた後の旧約聖書に立ち現れる神と人間との隔絶した関係性を表す思想です。
本日の奨励題にある「神を見た者はいない」という考えは出エジプト記33章18−23節に由来しますが、20節に神の言葉として「あなたはわたしの顔を見ることはできない。人はわたしを見て、なお生きていることはできないからである」と記されています。これは――先週の奨励でも触れたように――人に見ることができるのは神のそのものではなく、神の「栄光/光輝)」(δόξαドクサ)としての神の「反映」(δόξα)でしかないという発想と通底します。この思想は近代的な自然科学やニーチェの「神の死」の影響下にある現代の感覚とは異なるものではありますが、「神を見た者はいない」という考えそのものには異論はないのではないでしょうか。日本社会は幕末から西洋的な近代化の影響を受け、さらにそれに対抗するために、それまでの神仏習合から一神教であるキリスト教を模した国家神道を掲げるようになりました。しかし、敗戦と同時になされた天皇の人間宣言によって、「宗教の虚実」を実感し、かつての神仏習合を維持しつつも、宗教がどこか怪しげなまやかしであるという観念を強くするようになりました。しかし、それと同時に血液型診断や星座占いなどが巷に溢れ、伝統的宗教が衰退する一方で、新宗教・新々宗教、擬似(似非)科学的な宗教が流行し、カルト宗教の温床となり、それはマモン崇拝(拝金主義)の如きマルチ商法として擬似宗教化しています。宗教は人間を幸せにするためのもののはずですが、宗教が人間を不幸にするとの観念から、宗教不信が日本社会に蔓延するのも無理からぬことかもしれません。「神を見た者はいない」にもかかわらず、神を見た者が跋扈する宗教に満ちたこの社会において、「宗教の虚実」を見極める視点を養えるようにと願っています。

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

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