2022年11月1日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2022.10.27

2022年度後学期第6回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1nk-2Sdms328axp9EtBhKoL8wxjjlf0jM/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

ヨハネによる福音書1章11−13節

【新共同訳聖書】  

 11言は、自分の民のところへ来たが、民は受け入れなかった。12しかし、言は、自分を受け入れた人、その名を信じる人々には神の子となる資格を与えた。13この人々は、血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれたのである。

【本日の奨励】

「信頼・自信・過信」

 本日の聖書テクストは、イエスを受け入れる者と受け入れない者とに人間を二元論化する考えを表していますが、それと同時に信じる者こそが正しく、信じない者は間違っているとする、信仰者が陥ってしまう自己正当化や自己絶対化の問題に注意を喚起しています。11節はイエスがユダヤの民に受け入れられることなく十字架で処刑された歴史的な問題に言及しているのですが、初期のイエスの弟子たちのほとんどはユダヤ人ですから、この発言はキリスト教がユダヤ人を中心とする宗教から異邦人を中心とする宗教へと変化していった1世紀末から2世紀初めの時代状況を反映しています。12節はイエスの名を信じる者たちに「神の子どもたち」(τέκνα θεοῦテクナ・テウー)になる「権利」(ἐξουσίαエクスーシア)が与えられたと言っており、一見するとこれは信仰者に特別な「権能」(ἐξουσία)が与えられているかのように受け取られるかもしれませんが、そうではありません。なお、新共同訳が「神の子」と訳しているのは、先にギリシャ語を示したように、イエスを「神の子=神の息子」(ὁ υἱὸς τοῦ θεοῦホ・ヒュイオス・トゥー・テウー)と呼ぶのとは異なり、「子ども」を意味するτέκνονの複数形を用いて区別しています。そして、13節はイエスを信じる者が特別の権能を持っているわけではなく、あくまでも神の一方的な働きによって「神の子ども」とされていると強調しています。ここで用いられている「血」(αἷμαハイマ)と「肉の意志(新共同訳:肉の欲)」(θέλημα σαρκόςテレーマ・サルコス)と「人間の意志(新共同訳:人の欲)」(θέλημα ἀνδρόςテレーマ・アンドロス)は、「血と肉」が「人間」を表す言い回しであり、「人間の意志」は「肉の意志」を別の表現で繰り返す修辞的強調です。ですから、プロテスタント的に言えば、信仰者は神の一方的な「恩寵のみ」(sola gratia)によって生まれるのだから、自分の信仰を誇って自己絶対化や自己正当化をすることなどあり得ないと言っているということです。
先週の強調週間において講師の日向先生はカルト宗教の特徴として、自分たちの宗教を信じる者だけが正しく、信じない者は悪だと教えていることに触れています。自分の意志で信じる自由があり、それと同時に信じない自由もあります。信じることで「信頼」を持ち、自分の宗教に「自信」を持っても構いませんが、信じないことを理由に他者を裁く「過信」は不要です。本学のキリスト教主義はまさにそのような自由なものなのです。

 

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