2022年10月11日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2022.10.06

2022年度後学期第3回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1A6gEIdxDHXBdvvYTLMr5PIGYxX7vLFNW/view?usp=sharing

     

    【本日の聖書】

    ヨハネによる福音書1章6−8節

    【新共同訳聖書】  

     6神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである。7彼は証しをするために来た。光について証しをするため、また、すべての人が彼によって信じるようになるためである。8彼は光ではなく、光について証しをするために来た。

    【本日の奨励】

    「真実を証しする者の覚悟」

     本日の聖書は洗礼者ヨハネにについて記していますが、共観福音書とは全く異なる抽象的・観念的な姿が示されています。本日の礼拝ではヨハネ福音書が描く洗礼者ヨハネ像から人生の覚悟について学んで参ります。
    6節は洗礼者ヨハネを唐突に登場させています。ヨハネ福音書は1:15−34で共観福音書を用いてヨハネをイエスの先駆者として描き、そこで彼に「わたしはキリスト(メシア・救い主)ではない」と言わしめています。この背後にはヨハネの弟子であったイエスが彼と袂を分かち、独立して活動を開始したという歴史的経緯があったことが想定できます。7節はヨハネが救い主ではなく、イエスを証しして、あらゆる人がヨハネを通して光であるイエスを信じるようにするために遣わされたと述べています。8節はヨハネが光たるイエスを証しするために来たと強調しています。
    今日の聖書テクストには「証し」に類する単語が3度使われています。7節の名詞形のμαρτυρία(マルテュリア)と7節と8節の動詞形μαρτυρέω(マルテュレオー)です。この単語は「証明」や「(法廷の)証言」を意味しますが、ローマ帝国の禁教であったキリスト教を「証し」することが死を招いたことから、古代キリスト教史において「殉教」をも意味するようになり、この語から派生して英語などのmartyrdomという単語が生じました。ヨハネの生涯は有名なオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』(1893年)の基になったマルコ福音書6:14−29からも知られるように、ヘロデ・アンティパスによって斬首刑に処されました。ヨハネが預言者の如く王族批判を忌憚なく行った結果です。つまり、ヨハネは自分の信念を貫いて真実を「証し」したゆえに「殉教」へと行き着いたということです。どの時代でも忖度などによって真実が捻じ曲げられ、そこで真実を貫こうものなら、殉教はしないまでも、ネットの中傷、バッシング、社会的な排除が待ち構えています。10月1日にアントニオ猪木が亡くなりました。わたしのスーパーヒーローであり、その姿は全盛期の強いときも、最近の病に臥した弱い姿であっても、自分の信じる道を曲げることなく進んでいたことが偲ばれます。ヨハネや猪木のように強くないわたしたちですし、殉教をする前に逃げることが賢明ではあるのですが、社会人としても、研究者としても、自分の人生において「真実を証しする者の覚悟」を持ち続けたいのです。

     

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