2022年9月27日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ
Date:2022.09.26
2022年度後学期第1回大学礼拝
【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1XrGhwTBDNgN1LfgB_APM-L0ZzzN-MuM9/view?usp=sharing
【本日の聖書】
ヨハネによる福音書1章1−3節
【新共同訳聖書】
1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。2この言は、初めに神と共にあった。3万物は言によって成った。成ったもので、言によらずに成ったものは何一つなかった。
【本日の奨励】
「初めにロゴス(理性)があった」
前学期でフィリピ書の講解説教が終わり、後学期からはヨハネ福音書の講解説教に移ります。ヨハネ福音書は80年〜90年代に著され、2世紀に入ってから最終的な編集を施されて現在のヨハネ福音書になりました。ヨハネ福音書の冒頭の1:1−18は「ロゴス讃歌」と呼ばれる詩文ですが、その中心の概念である「ロゴス」(λόγος)は通常は「言/言葉」と訳されます。それ以外には「論理/理論」といった意味もありますが、その本来の意味はラテン語のratioと並んで「理性」です。西洋哲学では人間を他の動物と分かつものが理性だとされています。理性とは物事を認識する能力を意味しますが、より厳密には物事を推論する能力を表します。人間に特有のロゴスが「言葉」をも意味するのは、言葉が人間を他の動物と分かつものだという考えによるものです。本日の聖書はロゴス讃歌の冒頭のヨハネ1:1−3です。1節前半の「初めに」(Ἐν ἀρχῇエン・アルケー)は創世1:1を想起させますが、「原初」や「根源」を表します。ロゴスはギリシャでは宇宙万物を統べる「理法」でもありますから、万物の「成り立ち」が含意されています。1節後半から2節はロゴスを神と同定し、ロゴスがイエス・キリストであると示します。「初めに」という表現を再び用いて、イエスが万物に先立って存在していたことを示唆しており、聖書学ではそれを「先在のロゴス」と呼んでいます。3節はロゴスによって万物が生じたと言っていますが、創世記の天地万物の創造をイエスの業に帰しています。
本日の聖書は「ロゴス」が「万物の根源」であると述べています。ヨハネ福音書の文脈では、万物の根源がイエス・キリストであると言い換えているのですが、その背後にあるギリシャ哲学を踏まえると、イエスこそが「万物の根源」である「理性」だと言っていることが分かります。先にも言いましたが、「理性」(λόγος/ratio)とは推論する力です。推論とは既知の事柄から発して、未知の事柄を推し量る能力を表します。実験を例に取ると、実験の成功や失敗の経験や結果を次にどう繋げ、その実験がどういう意味を持ち、どのように活用されるのかを考えることが科学者の理性なのだと思います。おそらく、AIが人間のようになり、人間を超えるとは、哲学的には推論する力を自在にする(理性を持つ)ということではないでしょうか。哲学では動物には理性がないとされており、2045年の技術的特異点(technological singularity)の問題はAIの暴走を危惧させます。しかし、同種の動物間では生命の危機に関わる前に攻撃を止めることもあり、AIの暴走よりも戦争を止めることのない人間の方が動物やAIより理性がないのかもしれません。ヨハネ1:1の「初めにロゴス(理性)があった」という言葉は、互いに傷つけ合うことを止めない人間に、理性に基づいて推論し、平和な世界を築くようにと促しているのではないでしょうか
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1XrGhwTBDNgN1LfgB_APM-L0ZzzN-MuM9/view?usp=sharing