2022年7月19日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ
Date:2022.07.14
2022年度前学期第14回大学礼拝
【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1sk7ysEOI1U_n9NQGBhcblqfVqnBQqyN1/view?usp=sharing
【本日の聖書】
フィリピの信徒への手紙4章15−20節
【新共同訳聖書】
15フィリピの人たち、あなたがたも知っているとおり、わたしが福音の宣教の初めにマケドニア州を出たとき、もののやり取りでわたしの働きに参加した教会はあなたがたのほかに一つもありませんでした。16また、テサロニケにいたときにも、あなたがたはわたしの窮乏を救おうとして、何度も物を送ってくれました。17贈り物を当てにして言うわけではありません。むしろ、あなたがたの益となる豊かな実を望んでいるのです。18わたしはあらゆるものを受けており、豊かになっています。そちらからの贈り物をエパフロディトから受け取って満ち足りています。それは香ばしい香りであり、神が喜んで受けてくださるいけにえです。19わたしの神は、御自分の栄光の富に応じて、キリスト・イエスによって、あなたがたに必要なものをすべて満たしてくださいます。20わたしたちの父である神に、栄光が世々限りなくありますように、アーメン。
【本日の奨励】
「始まりから変わることなく」
本日の聖書は手紙の末尾の感謝と頌栄がしたためられています。15節は唯一始まりからパウロを支えてくれたフィリピの人たちに対する感謝が記されています。16節はパウロが最初の宣教旅行でテサロニケを訪れたさいに、そこに住むディアスポラのユダヤ教徒から迫害を受けて長くその地に留まることすらできず、宣教に失敗した時にも、パウロを支えてくれたのはフィリピの人たちであったことを想起しています。17節はフィリピの人たちがこれまでも、そして今もパウロを支えてくれていることに対する感謝の気持ちの表れです。18節はフィリピの人たちが遣わしてくれたエパフロディトが拘禁中のパウロをどれほど助けてくれたのかについて、言い尽くせない喜びを伝えています。彼はパウロが「わたしの兄弟、協力者、戦友」と呼ぶほどの篤い信頼を寄せる存在になった人物です(フィリピ2:25−28参照)。19節はフィリピの人たちがパウロの必要を満たすためにしてくれた支援が神に嘉せられ、フィリピの人たちが窮乏にあるときには、パウロを筆頭とする誰かが神の使者としてフィリピの人たちを支えるという思いの丈が語られています。このように誰かを助けることは神の働きに参与することであり、相手が困っているときに支え、また自分が困っているときに誰かから助けられるのは、神の意志だというキリスト教の考え方は欧米社会に根づいており、それがチャリティ精神を支えています。しかし、日本にも「情けは人のためならず」という諺があり、この諺は同様のことを別の観点から言い表していると言えます。20節は頌栄(しょうえい)です。キリスト教用語でしか聞くことはありませんが、キリスト教主義学校に頌栄短期大学もあるのですが、伝統的にdoxologiaと呼ばれ、神の栄光を讃えることを表します。教会では礼拝の最後の祝祷の前に神を称える短い讃美歌を歌うのですが、それが頌栄と呼ばれています。
パウロはフィリピ書の末尾で畳みかけるようにしてフィリピの人たちに対する感謝の気持ちを表しています。このように自分の気持ちを明確に言葉に出しているのは、フィリピの人たちが最初期から、しかもほかに誰もまだ仲間がいなかったときからパウロを支え、彼が早い段階で宣教活動に失敗して躓いたときであっても、変わることなく共にいてくれて、そして今も支えてくれているからです。みなさんも、最初から支えてくれて、しかも失敗や挫折したときにも、離れていくことなく助けてくれる「始まりから変わることなく」一緒にいてくれる真の友を大切にしてください。
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1sk7ysEOI1U_n9NQGBhcblqfVqnBQqyN1/view?usp=sharing