2022年6月14日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2022.06.09

2022年度前学期第9回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

    https://drive.google.com/file/d/15BjaatKswaUbPPPRJEhk5RkQPyVqoqG_/view?usp=sharing

     

    【本日の聖書】

    フィリピの信徒への手紙4章5節

    【新共同訳聖書】  

     5あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。

     

    【本日の奨励】

    「公正な生き方を貫く」

     フィリピ4:5は「公正な生き方を貫く」ことの大切さについて記しています。公正さは現代世界においても、そして日本社会においても、欠くことのできないものだと感じられますので、その点について一緒に考えてみたいと思います。5節aは新共同訳聖書では「広い心」を持つことをパウロが人生訓として伝えていると理解して翻訳しています。「広い心」と訳されているのはτὸ ἐπιεικές(ト・エピエイケス)というギリシャ語ですが、この表現は文法的には形容詞のἐπιεικής(エピエイケース)を名詞化して用いているものです。ἐπιεικήςの本来の意味は「適切な」や「合っている」ですが、それが転じて法や権利の問題として「合法的な」や「合理的な」といった意味、そして「公正さ」や「平等な」という意味として用いられ、さらには倫理的な領域において「温和な」という意味でも使われるようなりました。そして、フィリピ4:4では、ἐπιεικήςは中性形の名詞τὸ ἐπιεικέςの形で用いられていますので、「適切なこと」「合法的なこと」「公正なこと」「温和なこと」といった意味になります。では、これらの語義のうち、フィリピ4:4に最も適合するのはいずれでしょうか。ここで参考になるのは、このテクストが置かれている文脈です。このテクストはフィリピ書を結ぶに当たって、パウロの個人的な思いを前面に押し出して、4:2−3においてエポディアとシンティケというフィリピ教会の功労者が脇に追いやられてしまっていることを心配し、このふたりの女性を正当に評価するように呼びかけています。そして、この文脈に4:5を位置づけて理解すると、τὸ ἐπιεικέςは「公正な生き方」や「公正な振る舞い」を意味する理解するのが適切です。そして、この解釈は「すべての人に知られるようになさい」という後続する呼びかけとも呼応するように思えるのです。すなわち、新共同訳が「知られるようになさい」と訳している動詞のγινώσκω(ギノースコー)は「知る」や「認識する」という意味ですが、ここでは単に「全ての人に周知されるようにしなさい」という認識上の問題としてではなく、「全ての人に周知されるように行動しなさい」という実践的な課題として呼びかけられているということです。ですから、本日の奨励題を「公正な生き方を貫く」とつけたのは、フィリピ4:5においてまさにパウロは「公正な生き方」をこそ求めているからにほかならないからなのです。このよう理解すると、5節bでパウロが「主は近い」と言っていることも、決して唐突なものではなく、終末が到来して最後の審判において全てのことが神によって公正に明らかにされるのだから、そのときに備えて公正な生き方をするようにとパウロが促していることが窺えるのです。
    本日の聖書を通して日本社会を省みると、公正さが奪われていると実感せざるを得ません。忖度という言葉が当たり前に通じることからも分かるように、特定の力を持つ者に利する不正がまかり通っているからです。しかし、聖書が言う公正さとは、日本文化の勧善懲悪と通じてもいますが、不当な扱いを受けて脇に追いやられている人が嘉せられることなのです。そのためにはわたしたちが自分の身の回りの生活から「公正な生き方を貫く」ことを始めていくことが求められているのではないでしょうか。

     

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