2022年6月7日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2022.06.02

2022年度前学期第8回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

    https://drive.google.com/file/d/1IMvjSZjTYWbyXvrnkEJlG0PCZQ3_65yO/view?usp=sharing

    【本日の聖書】

    フィリピの信徒への手紙4章4節

    【新共同訳聖書】  

     4主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。

     

    【本日の奨励】

    「かけがえのない人へ」

     まずは真正パウロ7書簡における動詞χαίρω(カイロー「喜ぶ」)と名詞χαρά(カーラ「喜び」)の使用頻度を示します。

     これまでフィリピ書が「喜びの手紙」と呼ばれていることを繰り返し伝えてきましたが、χαίρωχαράの使用頻度からも、他の手紙に比べて、パウロがフィリピ書において突出して「喜び」を強調していることが分かります。今日の聖書箇所のフィリピ4:4もまた「常に喜びなさい」と勧めた直後に、「重ねて言います。喜びなさい」と畳みかけるように「喜び」を強調しています。この箇所をギリシャ語の語順に従って直訳すると、「喜べ、主において、常に。再び、わたしは言おう、喜べ」となります。このようにヴィヴィッドに――しかもギリシャ語ではテンポ良く――喜びが強調されているのですが、しかもフィリピ4:4の構文は「喜びなさい」という勧めで始まり、「喜びなさい」という同じ勧めで締め括られていますので、修辞的にも「喜び」が強調されていることが窺われるのです。
    では、なぜパウロはフィリピ書でこれほどまでに「喜び」を強調しているのでしょうか。それはこの手紙を書いたときのパウロが置かれていた境遇と関係します。パウロは50年代後半にエルサレムでキリスト教を宣教した廉で逮捕され、ローマの駐屯地カイサリアで2年にわたる獄中生活を送った後、ローマで拘禁状態に置かれていました。そこでパウロはローマ皇帝の裁判を待っていたのですが、処刑死が現実味を帯びている最中にフィリピ書を著したのです。「喜びの手紙」は「喜び」とは対極の「悲しみ」の直中で書かれたのです。フィリピの教会の人たちもその状況を誰よりも良く知っていました。「喜びの手紙」は「悲しみの手紙」になって然るべきだったのかもしれませんが、苦しいからこそ、パウロは「喜び」をいっそう強調することで、フィリピの教会の人たちに「苦しいときにこそ前を」向くように諭し、同時に自分自身も励ましていたのではないでしょうか。
    コロナとウクライナ戦争によって塞ぎ込む毎日が続いています。このような大変なときだからこそ、家にひとりでいるのではなく、顔を上げて、少しだけ前を向いてみてください。大学はみなさんをお待ちしています。

     

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