2022年5月31日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2022.05.26

2022年度前学期第7回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

    https://drive.google.com/file/d/1ebifXQe1u5to8pEhfk-WEVu5TEiZnYti/view?usp=sharing

     

    【本日の聖書】

    フィリピの信徒への手紙4章2−3節

    【新共同訳聖書】  

     2わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。3なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。

     

    【本日の奨励】

    「かけがえのない人へ」

     フィリピ4:2−3はパウロがフィリピの教会の中心メンバーにエボディアとシンティケというふたりの女性を慮るように伝えています。2節はエボディアとシンティケに対してパウロが「同じ思いを抱きなさい」と勧めています。「思いを抱く」と訳されているφρονέω(フロネオー)は名詞のφρήν(フレーン)から派生した動詞です。このφρήνという語は「心」や「思い」という意味で使われますが、本来は「横隔膜」を意味します。この背後には人間の感情が身体の中心部にあるという考えが横たわっているのですが、呼吸を司る臓器が感情の発露の場所というのは言い得て妙です。この語源から考えると、パウロがエボディアとシンティケに「同じ思いを抱きなさい」と勧めているのは、同じ空気を吸い、息をピッタリ合わせるようにと言っているかのようです。3節は「真実の協力者」(「協力者」と訳されているσύζυγος[シュジュゴス]は個人名かもしれません)と呼ばれているフィリピ教会の中心メンバーにこのふたりの女性を支えるように伝えています。ここで「支える」と訳されているσυλλαμβάνω(シュンランバノー)は「集める」や「捉える」が原意ですので、教会に背を向けてしまったふたりを集め戻し、捉まえて離さないといったニュアンスがあります。
    今日の聖書テクストは、一見するとエボディアとシンティケが互いに仲違いをしていることをパウロが心配しているようにも受け取られるのですが、実際にはかつて教会の中心メンバーであったふたりが教会と距離を置くようになった状態を解決しようとしているものと思われます。そこでパウロは彼女らに背を向けることを止め、教会の人たちと息をピッタリと合わせるように勧め、それと同時に教会の中心メンバーにはこのふたりを集め戻し、しっかりと捉まえて離さないように願っているのです。それはこのふたりが教会の発足時からパウロと協働して福音宣教のために働いた功労者だったからでもあるのですが、それ以上にこのふたりが中心から外れたことで感じていた寂しさにパウロが気づいていたからです。パウロも同様の寂しさを誰よりも経験していたからです。どの社会や組織にも同様の寂しさを抱えている人がいます。今日の聖書を通して、酪農学園大学が誰かの「寂しさに気づく」ことのできる場であって欲しいと願います。

     

     

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