2022年4月26日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2022.04.22

2022年度前学期第3回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1qkqyE8MFblgW1qZP63QuggeAgzva83g9/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

フィリピの信徒への手紙3章17節

【新共同訳聖書】  

 17兄弟たち、皆一緒にわたしに倣う者となりなさい。また、あなたがたと同じように、わたしたちを模範として歩んでいる人々に目を向けなさい。

 

【本日の奨励】

「他者に目を注ぐ」

 フィリピ3:17において、パウロはフィリピの教会の人たちに向かって、自分を模範として生きるように勧めています。パウロは自分を模範にするようにとの勧めを繰り返してしていますので(Ⅰコリント4:16、11:1、フィリピ4:9、Ⅰテサロニケ1:6)、ある種の自負があったことは疑い得ません。フィリピ3:17の場合、どのような自負心をパウロは抱いていたのでしょうか。少し細かくテクストを読み解いていきたいと思います。
17節前半で「皆一緒に倣う者」と訳されているのは、συμμιμητής(シュムミメーテース)という単語ですが、「一緒に模倣する者/一緒に真似る者」が原意です。この場合の「模倣する者」は、古典ギリシャ語では役柄に成り切って演技をする「役者」の意味でも使われていますので、パウロがフィリピの教会の人たちに対して一緒になって自分のように生きて欲しいと願っていることが伝わってきます。では、パウロはいったいどのように倣って欲しいと考えているのでしょうか。それはフィリピ書を書いたときのパウロの状況から類推できます。つまり、この手紙はパウロがキリストを宣教した廉で捕らえられ、ローマでの拘禁生活において処刑が現実味を帯びてきた苦難の状況下にあっても、変わることなく前へ前へと進むパウロのように生きて欲しいとの思いです。そして、17節後半においてパウロはパウロたちのように生きている者をモデルにして、フィリピの教会において日夜労苦している人たちに目を注ぐように勧めています。これは今やフィリピから遠く離れたローマにいるパウロを直接に模範とすることができなくても、パウロが最も信頼を寄せるフィリピの教会の人たちがパウロと同様の模範として身近にいるということを伝えているのです。
今日の聖書において、パウロは遠くにいる自分だけではなく、身近にいる人たちにも目を注ぐように語りかけています。確かに、わたしたちは遠くにいる有名な人たちに目を奪われてしまうことで、身近にいる人たちの素晴らしさを忘れてしまいがちです。わたしたちに必要なことは、身近にいる人たちに目を注ぎ、その素晴らしさを実感することで、自分の身の回りにある日常にこそ大切なことが詰まっていることに気づくことです。

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