2022年1月18日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2022.01.12

2021年度後学期第15回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1CBUWt_xgW9v06HRGH51l_19Tem_BGVni/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

フィリピの信徒への手紙3章12節

【新共同訳聖書】  

 12わたしは、既にそれを得たというわけではなく、既に完全な者となっているわけでもありません。何とかして捕らえようと努めているのです。自分がキリスト・イエスに捕らえられているからです。

 

【本日の奨励】

「運命の如く捉えられている」

 フィリピ3:12は自分の人生が思いもかけない方向に進んできたことをイエスとの出会いという不思議な出来事として理解するパウロの正直な思いが記されています。パウロはユダヤ教の律法を遵守して歩んできましたが、ダマスコ途上で復活のイエスの啓示に触れて回心し、キリスト教の迫害者がキリスト教の宣教者に変えられるという回心体験をしました(ガラテヤ1:13−17、使徒9:1−16)。このダマスコの回心から、異邦人の使徒として、福音宣教に猪突猛進してきたパウロですが、その宣教生活の途中で何度も迫害に遭い(Ⅱコリント11:16−33)、フィリピ書を著している今はローマ皇帝の裁判を待つ未決囚として拘禁状態にあり、そう遠くない将来には処刑されてしまう運命が待ち構えています。パウロはこのような自らの人生に思いを馳せ、自分の人生が何事かを自分で選び取って歩んできたようでありつつも、その実は自分の生き方を変えたイエスに「運命の如く捉えられている」という人生の不思議さを実感しているのです。
このように人生の歩みをイエスのために選び出されることをキリスト教では「召命」(ラテン語vocatio>英語/フランス語vocation、英語calling)と呼びます。ドイツ語ではBerufが用いられますが、これは宗教改革者マルティン・ルターが旧約聖書外典(旧約聖書続編)のシラ書11章20、21節の翻訳において「職業」を意味するBerufを「神に召された使命としての職業=召命」という意味に用いて以降、ドイツ・プロテスタンティズムの術語になったものです(マックス・ウェーバー)。つまり、Beruf(職業)に就くというのは、神からのBeruf(召命)があるからだという考えです。
酪農学園は黒澤酉蔵初代学園長のBerufによって創立され、キリスト教に基づく三愛主義を建学の精神として歩んできた唯一無二の学び舎です。わたし自身には牧師というBerufがあり、そこからさらに新約聖書学者としてのBerufへと進み、現在は酪農学園大学のキリスト教学教員をBerufとして奉職していますが、ふとした瞬間に自分の人生の歩みや酪農・農学系のキリスト教主義大学にいる現在の自分を不思議に感じます。イエスとの出会いという不思議な出来事を通して、思いもかけない方向に自分の人生が進んできたことを「運命の如く捉えられている」と実感しているということです。みなさんにも酪農学園に今学んでいるBerufから将来思いもかけないBerufに道が開かれていくかもしれませんが、パウロのように「運命の如く捉えられている」と実感できる人生を歩めるよう願っています。

 

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