2021年11月9日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2021.11.04

2021年度後学期第8回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1DaiYF73pUVBE3eTt-YHrSfKnqND4hv0L/view?usp=sharing

【本日の聖書】

フィリピの信徒への手紙2章14−16節

【新共同訳聖書】

 14何事も、不平や理屈を言わずに行いなさい。15そうすれば、とがめられるところのない清い者となり、よこしまな曲がった時代の中で、非のうちどころのない神の子として、世にあって星のように輝き、16命の言葉をしっかり保つでしょう。こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかったと、キリストの日に誇ることができるでしょう。

 

【本日の奨励】

「懸命に生き、悔いのない人生を」

 フィリピ2:14−16は人生の意義を考えたり、今後の自らの歩みに思いを馳せたり、自分の生涯を振り返ったりすることへとわたしたちを誘います。
 14節は一見するとパワー・ハラスメントやアカデミック・ハラスメントを見過ごしにしたり、耐え忍ぶように勧めたりしているように思えるかもしれませんが、もちろんそのような意味ではなく、自分の使命を果たしていくときにぶつかる試練や困難の最中で、神に不平不満を言うよりも、自らの使命に専心するように勧める言葉です。「不平」(γογγυσμόςゴンギュスモス)と「理屈」(διαλογισμόςディアロギスモス)は、「呟き」と「逡巡」(原意は「熟慮」)を意味しますので、限りある人生には時間を無駄にする暇などないと言っているのです。ここでは教会の宣教活動が念頭に置かれていますが、大学の研究活動でも同じことが言えるのではないでしょうか。15節は自らの使命に一意専心すれば、不正を行う者が得をし、正直者が損をする時代の直中で、真っ直ぐに生きる「神の子ども」となり、不正に満ちた時代にあっても、宇宙の星のように光り輝くようになると言われています。これは古代世界の暗い闇夜において、――クリスマスの星のように――星の光が人々に安心と希望を与えていたこととの類比として理解することが許されます。この言葉に触れるとき、高等教育と研究を担う場として、酪農学園大学がその本来の意味である「ユニークさ」(唯一無二)を有する三愛精神と健土健民という建学の精神を大切にすることで、この時代の直中で星のように光り輝いて欲しいとの思いを持ちます。そのためには16節最初の「命の言葉をしっかり保つ」ことの実践でもある「バイブルを教育の中心に置く」という創設者の黒澤酉蔵初代学園長の思いを継承する同時に、「農食環境」と「獣医」という本学に与えられている生命に関わる教育と研究の使命に尽力し続けていきたいとの思いを改めて実感します。そして、16節が続けて語るように、わたしたちひとりひとりもまた自分に与えられている使命に専心する生涯を全うし、自分の人生を振り返るときに、奨励題のように「懸命に生き、悔いのない人生を」を全うしたと言えたなら、どれほど素敵でしょうか。
今日の聖書の言葉はパウロの辞世の句のように感じられます。ローマでの拘禁生活の直中で処刑死が差し迫っていると実感し、幾度となく今生の人生の終わりを肌身に感じていたはずのパウロが、このように清々しいまでの透徹した思いでいることができたのはどうしてでしょうか。『北斗の拳』のラオウの「わが生涯に一片の悔いなし」(1986年)や石原裕次郎の『わが人生に悔いはなし』(1987年)が現代でも人の心を惹きつけていますが、パウロは今というときを「懸命に生き」たからこそ、「悔いのない人生を」送ることができたのではないでしょうか。パウロのように「こうしてわたしは、自分が走ったことが無駄でなく、労苦したことも無駄ではなかった」と言えるように、わたしたちも今というときを懸命に生きましょう。

 

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