2021年11月2日の大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2021.10.28

2021年度後学期第7回大学礼拝

【リモート礼拝(礼拝動画の配信)】

 

礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1BXRPJY_pvJxLAELslKoKd_ehScpwf4Jg/view?usp=sharing

 

【本日の聖書】

フィリピの信徒への手紙2章12−13節

【新共同訳聖書】

12だから、わたしの愛する人たち、いつも従順であったように、わたしが共にいるときだけでなく、いない今はなおさら従順でいて、恐れおののきつつ自分の救いを達成するように努めなさい。13あなたがたの内に働いて、御心のままに望ませ、行わせておられるのは神であるからです。

 

【本日の奨励】

「人に従うのではなく」
 日本文化には「世間体を気にする」という行動様式があると言われます。特に、欧米文化の「神が見ている」という行動様式との対比として指摘されます。「世間を気にする日本」と「神様を気にする欧米」という比較文化研究の嚆矢は、アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクト(1887−1948年)の『菊と刀』(1946年)だと言われています。彼女は日本の文化が「恥を基調とする文化」であるのに対して、欧米の文化は「罪を基調とする文化」であると指摘しており、その影響によって「世間様が見ている」という行動様式が日本文化の典型的な行動様式であると理解することになったようです。ベネディクトは日本を訪れることがありませんでしたし、第二次世界大戦の最中でしたので、アメリカの日本に対する偏見も強かったでしょうから、現在ではベネディクトの『菊と刀』の日本文化論は批判を浴びてもいます。そう言われてみると、昔の時代劇などには「お天道様が見ている」という言い方がありますので、これは神様のことを指しているわけですから、「世間様が見ている=人様が見ている」こと以上に、「お天道様が見ている=神様が見ている」ことを気にかける文化があったと言えるのかもしれません。
 聖書に触れる前に、世間体やお天道様の話をしたのは、本日のフィリピ2:12−13がまさに人目を気にする生き方ではなく、神にこそ目を向けるようにと促しているからです。12節はパウロが一緒にいるときにも、一緒にいない今も自分たちの務めを誠実に果たすように勧めています。このようなパウロの物言いから、フィリピの人たちがパウロを気にかけ、一緒のときは務めを果たすのに、パウロがいないときにはサボりがちになっていた状況があったことが想像されます。ここから欧米文化の基礎をなす聖書の登場人物も人目を気にしていたことが分かります。したがって、世間体を気にする文化は日本独自のものなのではなく、欧米文化にも含まれていることが窺われます。そして、13節は人間が自らに備わっている善意以上の行動をするようにできるのは神だけなのだから、その神の前に誠実に生きるよう勧めています。
 現在の日本にはびこる「忖度文化」を見ると、「お天道様」のみならず、もはや「世間様」も「恥の文化」も存在しないとの実感を持ちます。特定の利害のある人に忖度することが日本社会に巣食う病理かもしれません。「人に従うのではなく」、神(お天道様)の前に生きるという自覚こそが、忖度してしまう弱いわたしたちを誠実な行動へと突き動かしてくれるのです。

 

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