2021年9月28日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2021.09.23

2021年度後学期第2回

大学礼拝(リモート礼拝)

礼拝動画の配信

 

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聖書 フィリピの信徒への手紙1章27−30節

奨励 「たじろぐことのない信念」小林昭博先生(宗教主任)

 

【本日の聖書】

フィリピの信徒への手紙1章27−30節

【新共同訳聖書】

27ひたすらキリストの福音にふさわしい生活を送りなさい。そうすれば、そちらに行ってあなたがたに会うにしても、離れているにしても、わたしは次のことを聞けるでしょう。あなたがたは一つの霊によってしっかり立ち、心を合わせて福音の信仰のために共に戦っており、28どんなことがあっても、反対者たちに脅されてたじろぐことはないのだと。このことは、反対者たちに、彼ら自身の滅びとあなたがたの救いを示すものです。これは神によることです。29つまり、あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられているのです。30あなたがたは、わたしの戦いをかつて見、今またそれについて聞いています。その同じ戦いをあなたがたは戦っているのです。

 

【本日の奨励】

「たじろぐことのない信念」

聖書には元来は章や節が付されてはおらず、章区分は1227年にイングランドの大主教スティーブン・ラングトンが聖書全体に、節区分は1448年にフランスのラビ・ナタンがタナハ(旧約聖書)に、そして1555年にフランスの人文主義者ロベール・エティエンヌが新約聖書に施しました。しかし、その区分が内容に即していないこともあり、今日の聖書のように、1節ずつ読み進めるのが難しい事態が生じてしまうことも屡々です。そういうわけで、本日は1節ずつではなく、聖書箇所をまとめて講解することにします。
27−28節aはフィリピの教会の人たちがキリストの福音に適った生活をすることによって、反対者におびやかされることのない歩みをすることができると語られています。「生活を送る」と訳されているπολιτεύομαι(ポリテウオマイ)は「市民生活をする」が原意ですので、宗教生活と市民生活の別なく、一貫した生活をすることが勧められています。ですから、いついかなるときもキリストの福音に適った生活をすることで、誰に対しても堂々とした振る舞いができ、そのような裏表のない歩みをしていれば、誰かにおびやかされたり、忖度したりすることなく歩むことができると伝えているのです。28b−30節はフィリピの教会の人たちがキリストの福音に適った生活を送ることによって、反対者たちの批判が批判として成り立つことも届くこともなく、却ってその不毛な批判によって反対者が自ら黙らざるを得なくなり、フィリピの教会の人たちの歩みがまっすぐなものだということが明らかになると言っています。そして、反対者との軋轢こそがイエスを信じる者がこの世界において課せられた苦難であり、それはまさにかつて迫害を受け、現在ローマにおいて拘禁生活を強いられているパウロと同じ「苦闘」(ἀγώνアゴーン競技)をまさに闘っているというのです。
本日の聖書は「反対者」(ἀντικείμενοςアンティケイモス)におびやかされないように勧めていますが、同時に人間の弱さをも見通しています。わたしたちは誰かしらを反対者として自分で勝手に大きくし、恐れ、怯え、忖度してしまいます。そのような弱いわたしたちに対して、苦難の最中にあるパウロが却って励ましと労いの言葉をかけています。自分は弱く、怯えたり忖度してしまったりすると誰しもが感じています。でも、パウロはそんな弱いわたしたちが自分と同じ「苦闘」をすでに一緒に闘っていると語りかけくれているのです。ですから、おびやかされ、たじろいでいる弱いわたしたちでもいいのです。パウロは「あなたはたじろぐことのない信念」をすでに持っているとわたしたちを励ましてくれているのですから。

 

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