2021年9月21日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ
Date:2021.09.16
2021年度後学期第1回
大学礼拝(リモート礼拝)
礼拝動画の配信
礼拝動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1oQWdjTaBqZvNCJVZiuDl91aev2n37XtI/view?usp=sharing
聖書 フィリピの信徒への手紙1章21−26節
奨励 「結局そうなるよね−−友愛」小林昭博先生(宗教主任)
【本日の聖書】
フィリピの信徒への手紙1章21−26節
【新共同訳聖書】
21わたしにとって、生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです。22けれども、肉において生き続ければ、実り多い働きができ、どちらを選ぶべきか、わたしには分かりません。23この二つのことの間で、板挟みの状態です。一方では、この世を去って、キリストと共にいたいと熱望しており、この方がはるかに望ましい。24だが他方では、肉にとどまる方が、あなたがたのためにもっと必要です。25こう確信していますから、あなたがたの信仰を深めて喜びをもたらすように、いつもあなたがた一同と共にいることになるでしょう。26そうなれば、わたしが再びあなたがたのもとに姿を見せるとき、キリスト・イエスに結ばれているというあなたがたの誇りは、わたしゆえに増し加わることになります。
【本日の奨励】
「結局そうなるよね−−友愛」
パウロの切なる願いは1日も早くこの世を去って、天国に入ることでした。今日の聖書箇所には、現代のわたしたちとは異なる熱烈な終末信仰を有していた古代人パウロの偽らざる思いが込められています。21節は自分が生きているのはキリストを宣べ伝えるためであるとはいえ、本音としては1日も早くこの世を去って天国で永遠の安きを得たいというパウロの思いが吐露されています。しかし、22節にあるように、この世の生を用いることで、宣教活動という実り多い働きができるゆえに、自分ではどちらを選ぶべきか決められないというのです。続く23−24節ではこのようなジレンマでどうすればいいのか分からなくなり、拘禁の苦難から解き放たれて天国でキリストと一緒にいたいという本音を表しつつも、フィリピの教会の仲間たちのためにこの世に留まり続けて宣教活動を続けるのが自らに与えられた運命だと宣言しているのです。そして、25−26節ではローマの拘禁生活が解けた暁には、再びフィリピの教会の人たちと相見えて、喜びを共にすることができるという近い将来への希望を語っています。
今日の聖書からはパウロとフィリピの教会の人たちとの信頼関係、友情関係、つまり双方の間に深い「友愛」があることが伝わってきます。友愛とは古代ギリシャ世界の愛を表す語彙のひとつであるφιλία(フィリア)のことですが、「友人」(φίλοςフィロス)との間の愛情を表しますので、「友愛/親愛/友情」と訳されます。友情の大切さは子どもの頃から実感していると思いますので、今更説明するまでもありませんが、今日の聖書箇所においてパウロはフィリピの教会の仲間に対する「友愛/親愛/友情」が自ずと優先されてしまうために、「結局そうなるよね」と嘆息しつつ、自らの思いを後ろに退け、結局はフィリピの教会の人たちと一緒に活動したくなってしまう自分がいることを再確認しているのです。みなさんも、パウロのように自分よりも大切だと突き動かされる「友人」との出会いに恵まれ、「友愛/親愛/友情」を大切にし続けられることを願っています。
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