2021年7月20日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2021.07.14

2021年度前学期第14回

大学礼拝(リモート礼拝)

礼拝動画の配信

 

聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1bRX88PSHnDlqSvybvrWqypwISEieFb-n/view?usp=sharing

 

 

聖書 フィリピの信徒への手紙1章15−18節b

奨励 「使命に生きるための苦労」小林昭博先生(宗教主任)

 

【本日の聖書】

フィリピの信徒への手紙1章15−18節b

【新共同訳聖書】

5キリストを宣べ伝えるのに、ねたみと争いの念にかられてする者もいれば、善意でする者もいます。16一方は、わたしが福音を弁明するために捕らわれているのを知って、愛の動機からそうするのですが、17他方は、自分の利益を求めて、獄中のわたしをいっそう苦しめようという不純な動機からキリストを告げ知らせているのです。18aだが、それがなんであろう。口実であれ、真実であれ、とにかく、キリストが告げ知らされているのですから、わたしはそれを喜んでいます。

 

【本日の奨励】

「使命に生きるための苦労」

ィリピ書を書いたパウロは感情の豊かな人物であり、一方では攻撃的なのですが、他方では自己犠牲をも厭わない面を持っています。むろん、人間は矛盾を抱えた生き物だとも言えますので、パウロに相反する面があっても決して不思議ではないのですが、本日の聖書テクストはまさにパウロの攻撃的な面と自己犠牲を厭わない面が同居する形で綴られています。

15節はキリストを伝える者を「妬みと争いからする者」と「善意でする者」の二種類に分けています。これを文字通り受け止めると、悪意から布教活動をする者と善意から布教活動をする者がいることになり、それでは意味が通りません。16−17節から察すれば、15節はローマ皇帝に対する上訴を目的とするパウロの拘禁生活に対する善意ある理解と悪意に満ちた理解を指していると思われます。そして、この15節の内容をより鮮明にするのが16−17節です。ここでは自身の拘禁生活をローマ世界に対してキリスト教の福音の素晴らしさを弁明するためのものであると理解するパウロの気持ちに賛同する人たちの善意を愛の動機からのものと説明し、さらにパウロの拘禁生活を彼自身の落ち度のせいだと言ったり、パウロのいない隙に元来の教えから離れて、自分たちの勢力を延ばそうとしたりする者たちの動きを「自分の利益を求めること」や「不純な動機」として批判しています。18節前半はキリストの福音が広がるのであれば、たとえそれがパウロを苦しめるための口実からなされるものであっても、そしてそれがパウロを心配する真実さからなされるものであればなおさら、自分にとってはキリストが伝えられさえすれば、いずれであれ喜びであり、本望であるとのパウロの――悲しみに引き裂かれた――思いが吐露されています。
 本日の聖書テクストにおけるパウロの最大のディレンマは、拘禁生活のために様々な問題に直接に対応できないことにあります。本来はパウロの考えと相容れない教えを伝える人たちと直接会って話し合い、妬みや争い、自分の利益やパウロを苦しめるための不純な動機から行動する人たちの思いを変えることもできるのにという苦悩があるということです。ローマ世界に自分の思いを披瀝して福音を弁明するために、敢えて拘禁生活を厭わずに進む自分の信念が、却って教会の混乱を招いていることに後悔の念を覚えつつも、キリストが伝えられるのであれば、たとえ自分が非難されようとも構わないというパウロの覚悟が垣間見えます。このようなパウロの覚悟と身を引き裂かれるような思いがひしひしと伝わってきます。
 わたしたちの人生においても、使命を全うするためには苦労が伴います。社会や組織での対立や忖度、人間関係での孤立を抱えることもありますが、友や仲間との邂逅もあります。自分の使命を信じて「使命に生きるための苦労」を友や仲間と一緒に乗り越えていきたいとの思いでいます。

 

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