2021年7月6日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2021.07.01

2021年度前学期第12回

大学礼拝(リモート礼拝)

礼拝動画の配信

 

聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1rMUEsa0scKu4OjJYVAvVpzMPG55sS3mi/view?usp=sharing

 

聖書 フィリピの信徒への手紙1章9−11節

奨励 「自分自身で検証する」小林昭博先生(宗教主任)

 

【本日の聖書】

フィリピの信徒への手紙1章9−11節

【新共同訳聖書】

9わたしは、こう祈ります。知る力と見抜く力とを身に着けて、あなたがたの愛がますます豊かになり、10本当に重要なことを見分けられるように。そして、キリストの日に備えて、清い者、とがめられるところのない者となり、11イエス・キリストによって与えられる義の実をあふれるほどに受けて、神の栄光と誉れとをたたえることができるように。

 

【本日の奨励】

「自分自身で検証する」

フィリピ1:9−11はフィリピの教会の人たちの成長を願うパウロの祈りが記されています。本日の礼拝では、この世界を生きる人間としての、また大学の研究に携わる者としての心構えについて一緒に考えていきます。
9節はフィリピの人たちが知性と感性に磨きをかけて、溢れるほどの愛に満たされるようにとの祈りです。新共同訳聖書が「知る力」と「見抜く力」と訳している語は、ἐπίγνωσις(エピグノーシス)とαἴσθησις(アイステーシス)であり、前者が「知性による認識」を意味し、後者は「感性による認識」を表します。特に、後者の場合は――新共同訳は訳し忘れているのですが――「全ての」という形容詞がついており、五感の全てを用いるという意味かもしれません。したがって、9節は知性と感性(五感)によって得られる認識を用いて愛に満ち溢れるようにとの祈りですので、パウロは愛を単なる情動としてではなく、知性と感性(五感)という人間の精神活動の全てに関わるもの見なして、重要視していたことが伝わってきます。10節は感性と知性による認識に磨きをかけることによって、何がより良いものであるのかを自分自身で検証することが可能となり、この地上の生涯を終えるまで、清く咎められることのない者として歩み続けるようとの祈りです。新共同訳が「重要なことを見分けられるように」と訳している表現は、正確に訳すと「より良いものを自分で検証する」となりますので、より良い生き方を求め続けて生きるためには自己検証が不可欠であるとパウロが言っていることが分かります。11節はフィリピの人たちの愛に満ちた生き方はまさにイエスがもたらした神の義の表れであり、フィリピの人たちの生き方によって神の栄光が顕わとなり、それはそのままパウロの喜びでもあると語られています(異読参照)。つまり、フィリピの人たちがパウロの伝えた福音に堅く立ち(5節)、フィリピの人たちが福音の宣教に尽力する働きを通して神の働きが今もフィリピの地で続けられていることを喜ぶパウロの思いが率直に語られているということです(6節)。
ここまで順を追って本日の聖書テクストを読み進めてきましたが、本日の礼拝で焦点を当てたいのは10節です。先述したように、10節は正確には「より良いものを自分で検証する」と訳せますが、新共同訳が「見分ける」と訳しているδοκιμάζω(ドキマゾー)は「検証する」や「試験をして確かめる」が原意です。つまり、「より良いものを自分で検証する」というのは、自分がより良い生き方をするためには、他人任せにするのではなく、より良い生き方を絶えず「自分自身で検証する」ことが必要だということです。そして、「自分自身で検証する」ためには「知性と感性」を用いることが不可欠の前提です。また、酪農学園大学に連なる者にとって、それは研究者として関わる全てのことに関して、他人任せにするのではなく、「知性と感性」(知る力と見抜く力)によって得られる認識を駆使して「より良いもの」=「真理」を「自分自身で検証する」(自分自身で試験をして確かめる)ことが不可欠であることをも意味します。ひとりの人間として、またひとりの研究者として、このことを心に留めて歩みましょう。

 

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