2021年6月8日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ
Date:2021.06.02
2021年度前学期第8回
大学礼拝(リモート礼拝)
礼拝動画の配信
聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1xJrNekEAJE7VEnG46MxF7qXqrVrpnc4q/view?usp=sharing
聖書 ヤコブの手紙5章19−20節
奨励 「真理へと連れ戻す」小林昭博先生(宗教主任)
【本日の聖書】
ヤコブの手紙5章19−20節
【新共同訳聖書】
19わたしの兄弟たち、あなたがたの中に真理から迷い出た者がいて、だれかがその人を真理へ連れ戻すならば、20罪人を迷いの道から連れ戻す人は、その罪人の魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると、知るべきです。
【本日の奨励】
「真理へと連れ戻す」
本日の聖書はヤコブ書の締め括りの言葉である5章19−20節であり、真理から迷い出た人を真理へと連れ戻すことの素晴らしさを伝えています。
19節の「真理から迷い出た者」という表現からは「迷い出た羊の譬」(ルカ福音書15章1−7節/マタイ福音書18章12−14節)が想起されます。ここで用いられている「迷い出る」という表現は、20節の「迷いの道」と同じ意味ですので、厳密には「間違った道=間違った教え」を表しています。ですから、「迷い出た者」とは、「真理の道=真理の教え」の正反対の「間違った道=間違った教え」に基づいて生きる人を指し示しており、具体的にはヤコブ書の2−3章で言及されている富める者を重んじて貧しい者を軽んじる生き方をする者や諍いや派閥争いを引き起こして共同体に分裂をもたらす生き方をする者を表しています。そして、ヤコブ書はそのような生き方をする者を「真理の道=真理の教え」である貧しい者を大切する生き方や人と人を和解させる生き方、すなわち隣人愛を体現する生き方へと連れ戻すことがいかに大切であるのかを訴えかけているのです。
20節では19節の「真理から迷い出た者」を「罪人」と言い換え、「罪人を迷いの道から連れ戻す」ことの大切さを繰り返して訴えています。「罪人」(ἁμαρτωλόςハマルトーロス)や「罪」(ἁμαρτίαハマルティア)を表す古代ギリシャ語は「的を外す」がその本来の意味であり、「罪」もまた「道を踏み外すこと」や「道から迷い出ること」と同じ意味に遡源するということです。そして、ヤコブ書は「真理から迷い出た者=罪人」を真理に連れ戻すことが、魂を死から救い出し、多くの罪を覆うことになると強調しています。ここで用いられている「多くの罪を覆う」という表現は旧約聖書の箴言10章12節の「愛は全ての罪を覆う」の引用であり、したがって「真理から迷い出た者=罪人」を真理に連れ戻すことこそが箴言が指し示す「愛」であり、愛は人間の「過ち=罪」を覆い隠すものであるとさえ語られています。ここで「覆う」と訳されているκαλύπτω(カリュプトー)は「見えないようにする」「覆い隠す」という意味ですが(箴言のヘブライ語כָּסָה[カーサー]も「布を被せる」が原意)、これは罪を隠して誤魔化すといった狡猾な意味合いではなく、「愛とは罪を見えないようにしてあげること」、つまり「愛は罪を許してあげること」だと語っているのです。
本日の礼拝でヤコブ書を読み終え、ヤコブ書の講解説教にも一区切りがつきます。文書の締めは特別な意味を持っており、著者が最も伝えたいことが記されています。本日の聖書が繰り返し語る「真理から迷い出た者=罪人」を真理に連れ戻すということは、人に「懺悔」や「悔い改め」を求めるだけではなく、「(愛は)多くの罪を覆う」という言葉が示すように、人を許すことの大切さに気づかせてくれます。現代社会は自分の間違いや過ちを認めず、誤魔化しや詭弁や開き直りといった不誠実さに満ちていますが、それと同時に真剣にやり直そうとする人を許さない不寛容さにも満ちています。ヤコブ書の最後のメッセージである人を「真理へと連れ戻す」ことを弛まずに実践し続け、そこからさらに自らの間違いや過ちを認める誠実さと人を許す寛容さを身に着けて生きる者でありたいのです。
聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(