2021年6月1日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2021.05.26

2021年度前学期第7回

大学礼拝(リモート礼拝)

礼拝動画の配信

 

聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1yPH17k_SN6xW029heYtt9p9_s4bbIy-z/view?usp=sharing

 

聖書 ヤコブの手紙5章13−18節

奨励 「祈ること、願うこと」小林昭博先生(宗教主任)

 

【本日の聖書】

ヤコブの手紙5章13−18節

【新共同訳聖書】

13あなたがたの中で苦しんでいる人は、祈りなさい。喜んでいる人は、賛美の歌をうたいなさい。14あなたがたの中で病気の人は、教会の長老を招いて、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。15信仰に基づく祈りは、病人を救い、主がその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯したのであれば、主が赦してくださいます。16だから、主にいやしていただくために、罪を告白し合い、互いのために祈りなさい。正しい人の祈りは、大きな力があり、効果をもたらします。17エリヤは、わたしたちと同じような人間でしたが、雨が降らないようにと熱心に祈ったところ、三年半にわたって地上に雨が降りませんでした。18しかし、再び祈ったところ、天から雨が降り、地は実をみのらせました。

 

【本日の奨励】

祈ること、願うこと

本日の聖書テクストは「祈り」の大切さについて語っています。ヤコブ書は実践を重んじ、信仰もまた行いによって示されると強調しているのですが、文書の締めの部分に至って祈りの大切さを特に強調しています。
13節aの「苦しんでいる」は直訳すると「悪を被る」ですので、悪事によって苦悩する人が一縷の望みを託して神に祈らざるを得ない心情を慰さめています。13節bの「賛美の歌をうたいないさい」は喜んでいる人が自然に鼻歌を口ずさむ様子を表しているかのようです。14−15節aからはオリーブ油に病を癒す効能があると信じられていたことが窺われますが、病が癒えるように手を尽くす賢明さが伝わってきます。もちろん、現代にも不治の病があり、新型コロナウイルスの感染症で亡くなる方が大勢いることを考えると、無病息災を祈願する気持ちや神仏に縋るほかない状況は古代世界と現代世界の間で何ら変わりはないのかもしれません。15b−16節aは病が罪の結果として生じるとする古代世界の考えを前提に据え、互いの罪を告白して祈り合い、病が癒されるようにと勧めています。むろん、病が罪の結果として生じるとの発想は迷信でしかありませんが、現代でも病や不幸などを先祖を祀らないことなどに帰する因果応報思想は残っていますので、このような偏見を真正面から批判するイエスの言葉にも促されつつ(ヨハネ福音書9章1−5節)、病や不幸と罪を結び付ける考えには明瞭に否を言っておきたいと思います。16b−18節は祈りの力を信じるヤコブ書の思いが語られており、その例証として旧約聖書の列王記上17−18章の預言者エリヤの故事を引き合いに出し、エリヤの祈りが天に通じたように、わたしたちの祈りも天に通じるというヤコブ書の信仰が表明されています。
今日の聖書では「祈り」に関連する語彙は4種類使われていますが、いずれの単語も「願い」が原意です。つまり、「祈り」とは本来は「願い」のことであり、「祈り」は宗教的・信仰的なものであると同時に、信仰の有無とは関係なく、苦悩の直中にある人間や自分の力ではどうすることもできない現実に置かれている人間の内奥から湧き上がってくる切なる「願い」でもあるのです。本学では行事や集会が「祈り」から始まりますが、それは単なる宗教儀礼として行われているわけではなく、問題や課題を解決しようとする「願い」でもあります。現代世界では宗教的に「祈ること」は少なくなりましたが、「願うこと」は誰もが自然にしています。行動を重視するヤコブ書が文書の最後にこのように祈りを強調しているのは、「祈り」が「願い」を具象化し、問題や課題と向き合う気持ちを醸成し、解決のための行動を生み出す原動力になるからにほかならないのです。

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