2021年5月18日春期キリスト教教育強調週間礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2021.05.13

2021年度春期キリスト教教育強調週間

2021年度前学期第5回

大学礼拝(リモート礼拝)

礼拝動画の配信

 

聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1PfKxbM_32kH0gP7_KmX5aqc0BIi7RSs-/view?usp=sharing

 

聖書 コリントの信徒への手紙一 13章1−13節
メッセージ「《見えないもの》を知ろうとする――愛の讃歌と知の探究」小林昭博先生(宗教主任)
 
【本日の聖書】
コリントの信徒への手紙一 13章1−13節
【新共同訳聖書】

13 1たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、愛がなければ、わたしは騒がしいどら、やかましいシンバル。2たとえ、預言する賜物を持ち、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、愛がなければ、無に等しい。3全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、愛がなければ、わたしに何の益もない。4愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。5礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。6不義を喜ばず、真実を喜ぶ。7すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。8愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、9わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。10完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。11幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。12わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。13それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。

 

【春期キリスト教教育強調週間メッセージ】
《見えないもの》を知ろうとする――愛の讃歌と知の探究

Ⅰコリント書13章は「愛の讃歌」と称される有名な聖書の言葉です。1−3節は信仰者が称賛に値する行いをしたとしても、愛がなければ無に等しいと述べるほどに愛を讃美しています。4−7節は愛の属性を列挙することで愛の素晴らしさを讃えています。8−13節はあらゆるものはいつか滅びるとも、「信・望・愛」(信仰・希望・愛)は永遠に存続し、その三つの内で最も大いなるものは愛であるとの最高の讃辞が愛に贈られています。
今回の強調週間で特に着目したいのは9−12節です。ここでパウロは現世で人間が見ているものは部分的・限定的なものでしかなく、それは――古代の青銅などの――鏡が朧げにしか対象を写し出せないのと同じことだと説明します。この背後にはプラトン哲学のイデア論があります。つまり、真理はイデアの世界にあり、現世はイデアの世界にある――6節にも用いられている「真理・真実」を意味するギリシャ語の――ἀλήθεια(アレーテイア)を朧げに写し出す鏡にしか過ぎないという考えです。
現代世界が向き合う新型コロナウイルスは顕微鏡で見ることはできますが、日常の生活で見ることはできませんし、その正体も朧げにしか解明されていません。しかし、イデアの世界にある見えないἀλήθειαを知ろうとすることが――scienceの語源であるラテン語の――scientia(知識・科学)であり、永遠の先にあるイデアの世界の完全を目指して現世の研究に専心することが古代ギリシャ以来の知の探究です。そのために研究者は日夜弛まぬ努力を続けているのです。学生のみなさんは、幼子のようにまだ何も見えないと感じているかもしれませんが、先生たちも学生時代は同じ思いだっただけではなく、今も日夜「《見えないもの》を知ろうとする」という「知の探究」を忍耐し懸命に続けています。キリスト教主義大学の酪農学園大学に連なる者として、自分の勉強や研究がいつかこの世界のためになるという「信・望・愛」(信仰・希望・愛)を持ち続けて歩んでいってください。

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