2021年1月26日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ
Date:2021.01.21
2020年度後学期第15回
大学礼拝(リモート礼拝)
聖書の言葉とメッセージの動画の配信
聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(
https://drive.google.com/file/d/1_u0dWykvjMXAdNuc3249oNdCQTAVNthO/view?usp=sharing
聖書 ヤコブの手紙4章13−17節
奨励 「使命のために」小林昭博(宗教主任)
【本日の聖書】
ヤコブの手紙4章13−17節
【新共同訳聖書】
13よく聞きなさい。「今日か明日、これこれの町へ行って一年間滞在し、商売をして金もうけをしよう」と言う人たち、14あなたがたには自分の命がどうなるか、明日のことは分からないのです。あなたがたは、わずかの間現れて、やがて消えて行く霧にすぎません。15むしろ、あなたがたは、「主の御心であれば、生き永らえて、あのことやこのことをしよう」と言うべきです。16ところが、実際は、誇り高ぶっています。そのような誇りはすべて、悪いことです。17人がなすべき善を知りながら、それを行わないのは、その人にとって罪です。
【本日の奨励】「使命のため」
本日の聖書テクストは富める者を厳しく批判しています。「商売をする」と訳されているἐμπορεύομαι(エンポレウオマイ)は「貿易商」や「大商人」を意味するἔμπορος(エンポロス)の派生語ですので、ヤコブ書が批判しているのは、1年単位で町に滞在して、船舶を使って地中海世界を縦横無尽に行き交って貿易等を行なっていた富裕層にほかなりません。ヤコブ書がここまで徹底的に富を否定しているのは、「金もうけをする」と訳されているκερδαίνω(ケルダイノー)が「利益を追求する」という意味であることに示されています。つまり、ヤコブ書は富める者が自己の利益のみを追い求めて他者を省みることのない生き方をしていることを問題視しているのです。そして、このような批判の背後には、いくら富を蓄えてこの世で繁栄しようとも、人は自分の明日のことすら定かではなく、この世の生涯は「やがて消えて行く霧」にしか過ぎないとする宗教観・人生観があるのです。このように人の生涯は儚い束の間のものでしかないとしても、「ヤコブの条件」として知られる「主の御心であれば」という謙遜な思いをもって、自らの生涯を「善」を行なうことに傾注するようにとヤコブ書は勧めています。このような徹底した富(マモン)に対する批判は、富める者が優遇され、貧しい者が虐げられている現代の格差社会をも射抜くものだと言えます。何のための富なのか、何のために働くのか、目的を見失っているのは古代世界も現代世界も同じかもしれません。いみじくも、コロナによって、わたしたちは明日の命さえも不確かであることを実感させられています。儚い束の間の生涯だからと自己の利益のみを追求する生き方をするのではなく、儚い束の間の生涯であるからこそ、他者のため、そして次世代のために、なすべき「善」を行いたいのです。酪農学園大学が自らのなすべき「善」である「使命のために」歩み続けることを願います。
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