2021年1月19日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2021.01.14

2020年度後学期第14回

大学礼拝(リモート礼拝)

聖書の言葉とメッセージの動画の配信

 

聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1VftHLVHtizim3FmJJAPB6ggkaWBZfeqE/view?usp=sharing

 

 

聖書 ヤコブの手紙4章11−12節

奨励 「一方通行から相互通行へ」小林昭博(宗教主任)

 

【本日の聖書】

ヤコブの手紙4章11−12節

【新共同訳聖書】

11兄弟たち、悪口を言い合ってはなりません。兄弟の悪口を言ったり、自分の兄弟を裁いたりする者は、律法の悪口を言い、律法を裁くことになります。もし律法を裁くなら、律法の実践者ではなくて、裁き手です。12律法を定め、裁きを行う方は、おひとりだけです。この方が、救うことも滅ぼすこともおできになるのです。隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか。

 

【本日の奨励】「一方通行から相互通行へ」

今日の聖書テクストは、「兄弟たち」という冒頭の呼びかけが指し示すように、教会内の不和を問題にしています。11節では教会内の仲間に対する「悪口」や「裁き」を戒めています。「悪口を言う」と訳されているギリシャ語はκαταλαλέω(カタラレオー)という動詞ですが、本来は「下に向かって言う=話を言い広める」という意味なのですが、「下に言う」から「見下して言う」という意味でも使われるようになった語です。ですから、この場合には単に「悪口を言う」(新共同訳)というよりも、上から目線で相手を見下して一方的に貶めることを表します。また、「裁く」と訳されているギリシャ語のκρίνω(クリノー)は、裁判で「審判を下す」ときに用いられる術語なのですが、ここではカタラレオーの同義語として用いられていますので、「断罪する」といったニュアンスで使われています。ですから、この場合も相手を一方的に断じることを表します。したがって、11節で戒められている「悪口」や「裁き」とは、対等な立場で批判をしたり、意見を言ったりすることではなく、上から目線で一方的に相手を貶めたり、一方的に断罪したりする傲慢さを表しているのです。それゆえ、11節後半から12節においてヤコブ書は教会の仲間を上から目線で一方的に貶めて断罪する者があたかも神にでもなったかのような思い違いをしているとして厳しく戒めているのです。そして、このテクストが「隣人を裁くあなたは、いったい何者なのですか」という言葉で締め括られていることからも明らかなように、ヤコブ書は仲間を仲間とも思わず、上から目線で仲間を見下し、一方的に相手を貶めて断罪する人間の傲慢な言動が隣人愛に悖るものであるゆえに、隣人愛に立ち返るように求めているのです。
本日のテクストにおいてヤコブ書は教会内の問題を取り上げていますが、しかしこれは何も教会だけに限られる問題ではなく、あらゆる共同体にも当てはまる問題でもあります。したがって、ヤコブ書のこの言葉は酪農学園大学という共同体にも向けられているものと理解できるのです。つまり、大学という共同体においても、大学の仲間を上から目線で一方的に貶めて断罪することは、自らを神でもあるかのようにする尊大な振る舞いだということです。そして、それは大学全体の大きな組織の問題に留まらず、ゼミ、サークル、部活といった大学内の小さな共同体の問題でもあります。少し緩やかな表現で言えば、ヤコブ書が問題にしているのは「一方通行」のコミュニケーションであり、ヤコブ書が隣人愛として求めているのは「相互通行」のコミュニケーションということになります。対面で人と人が向かい合えないこの時代だからこそ、「一方通行から相互通行へ」というコミュニケーションを大切にする酪農学園大学でありたいのです。

 

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