2020年12月22日クリスマス礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2020.12.18

2020年度後学期第13回

クリスマス礼拝(リモート礼拝)

聖書の言葉とメッセージの動画の配信

 

聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1kaRjmoRp3V4UeoD1B8kpKKquA5iOwM3I/view?usp=sharing

 

 

聖書 マタイによる福音書1章18−25節

奨励 「共にいてくれるクリスマス」小林昭博(宗教主任)

 

【本日の聖書】

マタイによる福音書1章18−25節

【新共同訳聖書】

18イエス・キリストの誕生の次第は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。19夫ヨセフは正しい人であったので、マリアのことを表ざたにするのを望まず、ひそかに縁を切ろうと決心した。20このように考えていると、主の天使が夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい。マリアの胎の子は聖霊によって宿ったのである。21マリアは男の子を産む。その子をイエスと名付けなさい。この子は自分の民を罪から救うからである。」22このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。23「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。24ヨセフは眠りから覚めると、主の天使が命じたとおり、妻を迎え入れ、25男の子が生まれるまでマリアと関係することはなかった。そして、その子をイエスと名付けた。

 

【本日の奨励】「共にいてくれるクリスマス」

本日のクリスマス礼拝でお読みする聖書はマタイ福音書の受胎告知の場面です。聖霊によるマリア懐胎の伝説は、マケドニアの大王アレクサンドロス、ローマの将軍アフリカヌス、初代ローマ皇帝アウグストゥスが神と人間の女性との間に身ごもったというヘレニズム世界の伝説の影響を受けています。しかし、これらの三者が武勲という力による支配で「英雄」とされたのに対して、マタイはイエスをこれらの「英雄」とは正反対の存在として示します。つまり、マタイ1:23で旧約聖書のイザヤ書(7:14、8:8、10)のメシア預言を引用し、イエスが誕生したのは「インマヌエル」(עִמָּ֥נוּ אֵֽלインマーヌー・エール)、すなわち「神は我々と共におられる」ことが示されるためだというのです。この背後にはアウグストゥスがローマ世界で「救世主」と称されていたことが関係していますが、マタイは真のメシアとは、アウグストゥスのように力によって民を支配する存在ではなく、「インマヌエル」が示す民と共にいてくれる存在だと語っているのです。このようにマタイが「共にいてくれる」イエスを真のメシアとして示しているのは、クリスマス物語が創作された1世紀後半に第一次ユダヤ戦争(66−70年)が勃発し、エルサレム神殿が破壊され、ユダヤ人がエルサレムから追放されたことが関係しています。マタイの教会はユダヤ人キリスト者を中心としてシリアに作られましたので、かの戦争の傷が未だ生々しく残っていました。このような状況でマタイが示したメシアとしてのイエスは、力による支配者ではなく、孤独や悲しみにある者と共にいてくれる存在だったのです。翻って現代の国際社会や日本社会を省みるとき、相変わらず力による支配が是とされる現実があります。しかし、コロナが猛威を振るう世界の直中でクリスマスを迎えるとき、これまでのように力による支配というこの世界の競争を是とするのではなく、孤独や悲しみにある者が「共にいてくれる」誰かを見いだすことのできる共生を是としたいのです。特に、医療関係者をはじめとする様々な仕事に従事する人たちが自らの感染リスクを負いつつ懸命に働いているにもかかわらず、未だに心ない言葉や態度で差別や排除の憂き目に遭っていると聞き及びます。今年のクリスマスが「インマヌエル」というその本来の意味のように、寂しさ、悲しさ、痛み、恐怖などを感じている人たちにとって「共にいてくれるクリスマス」となるよう心より願っています。メリー・クリスマス!

聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。