2020年11月3日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2020.10.29

2020年度後学期第6回

大学礼拝(リモート礼拝)

聖書の言葉とメッセージの動画の配信

 

聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1PnFqL57hHcrVo1aGV095MmXDhvXnfXNR/view?usp=sharing

 

聖書 ヤコブの手紙1章22−25節

奨励 「聖書の言葉を実践する」小林昭博(宗教主任)

 

【本日の聖書】ヤコブの手紙1章19−21節

22御言葉を行う人になりなさい。自分を欺いて、聞くだけで終わる者になってはいけません。23御言葉を聞くだけで行わない者がいれば、その人は生まれつきの顔を鏡に映して眺める人に似ています。24鏡に映った自分の姿を眺めても、立ち去ると、それがどのようであったか、すぐに忘れてしまいます。25しかし、自由をもたらす完全な律法を一心に見つめ、これを守る人は、聞いて忘れてしまう人ではなく、行う人です。このような人は、その行いによって幸せになります。

 

【本日の奨励】「聖書の言葉を実践する」

本日の聖書は口先だけの生き方や聞くだけで実行しない在り方ではなく、実践することの大切さを語っています。日本では不言実行が美徳とされてきましたが、近年は有言実行の方が好まれているように思います。マニフェストの不履行が横行する政治に対する不満から、不言実行より有言実行が好まれるようになってきたのでしょう。ヤコブ書を読むと、時代や文化が変わっても、人間の在り方は変わらないということを実感します。
22節は聖書の言葉を実践する者になるようにとの勧めです。聞くだけで実践しない者は、何を実践するかを知っているのに、それを実行しないゆえに、そのような姿勢が自分を欺くことだと言われています。23−24節は聖書の言葉を聞くということは、自分を見つめることであり、真に聖書に聞くというのは、その場限りのことではなく、自分を見つめ続け、自分の生き方に聖書の言葉を活かして続けることだと述べています。25節は聖書に聞くことが戒律で自分を縛ることではなく、人間を自由にするものであると語っていますが、実践が幸せをもたらすのは、聞くだけで実践しないことで陥る自己欺瞞や自己矛盾から解放されるためだと説明しています。
本日の聖書テクストのヤコブ1:22−25に促され、「聖書の言葉を実践する」ということを考えるとき、学園の創設者である黒澤酉蔵が大学創立時に述べたことが想起されます。これは前学期の開学60周年を覚えるメッセージにも記したのですが、黒澤学園長は開学時に以下のように学生と教職員にその思いを伝えています。

「日本人は好景気が十年か十五年続いたといって有頂点になり、生産力が世界第二位だ、やれ第三位だと騒いでいますが、人間の魂の腐っていることは 最劣等ではありますまいか。こういうことでは一体どうなりますか。私がまず、グルンドヴィの三愛精神に徹せよ、というのはこのためです。本当の人間ができない以上金なんか問題ではありません。生産力がいくら伸びてもダメです。こんなものは一朝にして没落してしまいます。私たちがデンマークに学ばなければならないのはこの点です。理屈とか講釈ではありません。実行です。毎日毎日の行い、心のおき方をバイブルにあるとおりにしなければダメだということです」(『酪農学園大学の創立』66頁)。

これはクリスチャンの黒澤学園長にとって聖書が実践の書であったことの証左です。「バイブル中心の教育」として示される「毎日毎日の行い、心のおき方をバイブルにあるとおりに」実行する在り方は「聖書の言葉を実践する」と語るヤコブ書から多大な影響を受けています。「神を愛し、人と愛し、土を愛す」という聖書から生み出された三愛主義は、聞くだけもの、その場限りのものではなく、自分自身の課題としてわたしたちひとりひとりが実践し続けるものなのです。

 

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