2020年10月13日大学礼拝(リモート礼拝)のお知らせ

Date:2020.10.08

2020年度後学期第3回

大学礼拝(リモート礼拝)

聖書の言葉とメッセージの動画の配信

 

聖書とメッセージの動画の視聴にさいしては、以下のリンク(Google Drive)をクリックしてください。

https://drive.google.com/file/d/1doDtxedDGLGGhW-Ji-3MYSgDEh3GqHWj/view?usp=sharing

 

聖書 ヤコブの手紙1章12−18節

奨励 「貪りという名の罪過」小林昭博(宗教主任)

 

【本日の聖書】ヤコブの手紙1章12-18節

12試練を耐え忍ぶ人は幸いです。その人は適格者と認められ、神を愛する人々に約束された命の冠をいただくからです。13誘惑に遭うとき、だれも、「神に誘惑されている」と言ってはなりません。神は、悪の誘惑を受けるような方ではなく、また、御自分でも人を誘惑したりなさらないからです。14むしろ、人はそれぞれ、自分自身の欲望に引かれ、唆されて、誘惑に陥るのです。15そして、欲望ははらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます。16わたしの愛する兄弟たち、思い違いをしてはいけません。17良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。御父には、移り変わりも、天体の動きにつれて生ずる陰もありません。18御父は、御心のままに、真理の言葉によってわたしたちを生んでくださいました。それは、わたしたちを、いわば造られたものの初穂となさるためです。

 

【本日の奨励】「貪りという名の罪過」

ヤコブ1:12−18は12節がこの手紙の主題である試練を耐え忍ぶことの大切さを再提示しており、13−18節が試練を招き寄せる人間の欲望を避けるよう勧めています。12節で新共同訳が「適格者」と訳しているのはδόκιμος(ドキモス)というギリシャ語ですが、「本物」という意味もありますので、13節を学生のみなさんに当てはめて考えると、大学での研鑽(試練)を耐え忍ぶことを通して、みなさんが「本物」に成長していく姿を言い表していると言えます。13−15節では、試練が神からではなく、人間の「欲望」(ἐπιθυμίαエピテューミア)から生まれることだけではなく、「欲望」が罪や滅びを生み出すとも指摘されています。13−15節は新共同訳の翻訳では「試練」と「誘惑」が混在しているように誤解されてしまいますが、原語は同じギリシャ語の名詞と動詞であり、「試練」が適訳です。現代の小説やドラマでも不幸や運命を嘆いて神を呪う場面が描かれることはよくありますので、試練を神の責任に帰す考えはいつの時代にも通底することが分かるのですが、ヤコブ書は試練を神の責任に帰す考えを明確に斥けています。そして、16−18節において人間に良い贈り物や賜物を与えてくれるのが神であるとの確信を表明しているのですが、これは森羅万象を司る神が太陽の光を筆頭とする自然の恵みを絶えず人間に与え続けてくれていることに対する純朴な信仰を言い表しています。さしずめ、日本の「お天道様のお恵み」と同じような意味だと言えば分かりやすいでしょうか。
このテクストにおいてヤコブ書がわたしたちに求めているのは、この世界を生きるうえで、欲望に引き寄せられた放縦な生き方を避けて試練を耐え忍ぶことです。この勧告は十戒の第10戒の「貪りの禁止」を表象・再現前させていると考えられます。なぜなら、人間の「飽くなき欲望=貪り」が人間の根源的な「罪過」だとヤコブ書は見なしているからです。わたしたちもまた、「欲望=貪りという名の罪過」を避け、本学の使命を実現させるための「試練=研鑽」を耐え忍ぶ者でありたいと願っています。

 

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